家族が敵に見えるとき

家族が敵に見えるとき

以前「周りが敵に見えるとき」というブログを書きました。
その関係でしょうか、「家族が敵に見える」というキーワードでご訪問くださる方が増えました。
私は上記記事では、職場や学校などの、家庭の外を想定してたのですが、多くの方が家族に対して悩んでいらっしゃることが分かりました。

家族が敵に見えるとは、どういう状況でしょうか。
そしてその時、どのような心の持ち方をすればいいのでしょうか。

1.家族って何だろう

そもそも家族ってなんだろうな、って考えました。
ネガティブなことや、すごくいいことが起きた時でなければ考えないテーマです。
「この家族に生まれてよかった」と思えれば幸せだし、「どうして自分の家族はこんなにひどいんだろう」と感じてしまうのはとても辛いことです。

親ガチャ、という言葉が広まって久しいですが、家族とは夫婦以外は選べないものです。夫婦ですら結婚したら「こんなはずじゃなかった」と思うことは少なくありません。

夫婦は最終手段としては離婚があります。
しかし親子にはそれがありません。きょうだいも同様です。
お互い理解し合える、支え合える、愛し合えるとは限らないのに、ほぼ死ぬまで強固な繋がりを持ち続けるのが家族です。

『サザエさん』のような家族は、今や一般的とは言えません。

2.家族が敵に見えるとき

①自分の心情(辛さ、苦しみ、痛み)を拒絶・否認・軽侮されたとき

例えば学校で友達とケンカした翌日、学校へ行くのはとても気が重いです。
上司に叱責されたとか、同僚と険悪になった、というのもそうでしょう。

けれどそれを理由に『学校・会社に行きたくない』と言ったとき、「そんなことで」とまともに取り合ってくれなければ、傷ついてショックを受けて、相手に憎しみを抱いても仕方がないですよね。

②疎外されていると感じた時

家の中にいて、家族全員揃っているのに、なぜか自分だけが異質な存在だと感じてしまう。
血のつながった家族と一緒にいるのに孤独感がぬぐえない。
率直な意見を言っただけなのに、おかしい・間違ってる・それは変だ、と共感してもらえない。

赤の他人やよく知らない人が相手であるよりも、家族だからこそ壁を厚く感じます。

③「家族ならこうするはず」から外れた対応をされた

何か問題が起きた時、家族なら自分の味方になってくれて当然なのに、逆にこちらが悪いと決めつけられた。
悲しい時に労わりではなく叱責された。
本当なら家族がやってくれてもいいはずの役割を、他人に押し付けられた。

そう感じるようなやり取りがあると、「自分は家族ではないのか」というショックと憤りを感じてもおかしくありません。

3.コミュニケーションと尊重の欠如

こうした事態になってしまうまでには、その家族ならではの事情や背景、歴史があるでしょう。
しかも学校へ行く年齢になれば、関わる他者は一気に増えます。そうした人たちから受ける影響も入ってくるので、更に多様性は増していきます。

ですが大きく分けて、理由は二つあると思います。

一つはコミュニケーションの不足です。
例えば親がいつも忙しい、自己開示が苦手、理解や共感を示すことが苦手、一緒に過ごす時間が少ないなどが考えられます。

ただ一緒にいればいい、というわけではないでしょう。
コミュニケーションは、量よりも質です。
言葉や働きかけをする側の配慮ももちろん、それを受ける側の態勢が整っていなければ、やはり質の高いコミュニケーションとは言えません。

もう一つは相手への尊重の欠如です。
親だから理解して当然、子どもだから言うことを聞いて当然、兄だから、弟だから、という立場を盾に押し付けるような態度では、相手に敵意を抱かせてもおかしくありません。

尊重する、とは、相手には相手の意思がある、という前提で接することです。
家族以外に対してももちろん必要な態度ですが、家族内だとこれが緩みがちです。
相手への尊重の欠如は、家族内の甘えの結果だと私は考えます。

4.家族が敵に見えるときの心がけ

①前向きに諦める

家族や家庭が温かく居心地の良い場所であることは、非常に幸せな状態です。出来ればそれが当たり前でありたい。
しかしそうではない家族が存在するのも事実です。
とても悲しいことですが、目の前にある状態を「これが自分の家族の姿だ」と、肯定的に諦めて受け入れることが必要です。

②自分だけを責めない

自分が変われば家族も変わってくれるんだ、と考えるのは前向きな姿勢と言えるでしょう。
しかし自分がどれだけ努力しても、家族が望むような姿に変わってくれるとは限りません。
そして人間関係はどんな人が相手であれ相関関係です。相関関係とは、双方が影響し合う関係です。片方だけが理由になる「因果関係」とは違います。
自分だけが悪いとか、家族だけが悪いとか、自分が変われば相手も絶対に変わる、と思い込み過ぎないようにしましょう。

③家族のほかに安心安全の場を作る

マズローの欲求階層説

上述したように家族が安心を与えてくれればベストなのですが、残念ながらそうではない場合は家族以外の場に安心できる場所を作りましょう。
何故なら、安心できる場所がどこにもなければ、人は生きていくのが困難になるからです。

「マズローの欲求階層説」という理論があります。生きていくために欲求を一つずつクリアしていくのが人間心理の根本にある、という考え方です。
「安全の欲求」というのは2番目に満たされるべき欲求です。
現代では身体的安全が脅かされることは少ないかもしれませんが、安心も同様に満たされる必要があります。

④話を聞いてくれる人を作る

③と重複しますが、家族が敵に見えるという辛い心情を聞いてくれる相手を見つけましょう。
知人友人親戚でもいいですし、市役所福祉関係者カウンセラーでもいいでしょう。
リアルの場でなくてもインターネットSNSで同じような経験をしたことがある人のグループに参加するのでもいいです。
自分だけではないこと、それを乗り越えた経験を聞いたり、同じ気持ちを共有出来ることで心が軽くなり、落ち着いて対処法を考えることが出来たりします。

5.一人で抱え込まない(相談機関)

今回例に挙げたものは、ごく普通の家庭内でも起こりうる状況です。
ですので心の持ちようの対処方法を考えました。

しかし残念なことに、これ以外の理由によって「家族が敵に見える」ことがあります。
虐待、DV、モラハラ、家庭内暴力です。
もしこれらに該当するときは、専門機関に相談してください。
お住いの市区町村の担当窓口でもいいですし、「DV相談プラスという国が設置している相談機関もあります。

18歳未満の子どもであれば児童相談所も活用出来ます。
すぐに相談出来ないとしても、自分のケースならどこに相談出来るのか、を調べて情報を得ておくだけでも気持ちに余裕が出来ます。

一人で抱え込まないことが一番のポイントです。

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