心理カウンセラーが「鬼滅の刃」を見た感想

心理カウンセラーが「鬼滅の刃」を見た感想
「鬼滅の刃」のキャラクターへの感想です

近年ない規模の大ヒットアニメ『鬼滅の刃』。私も大好きで、劇場版は映画館まで足を運びました。
丁度『炭治郎立志編』を見たので、カウンセラー的視点から思ったことを述べてみます。

1.善逸の弱さは「足枷」であり「強み」

彼の特徴は、すぐに泣き叫ぶこと。というより感情表現が非常に大きく強烈です。

中でも、炭治郎たちと初めて出会った鼓屋敷の場面。
守る対象であるはずの少年に泣きついて、叱られて、『ごめんよ~』と謝りながらも、自分の心細さは決して隠さない。
炭治郎と出会った時も、『自分は本当は最終選別で死ぬはずだったのに』と、選別に残ったこと=これからも生き続けて戦い続けなければいけないことへの恐怖と不満を口にしています。

しかし、彼の強さはまさにここ。自分の弱さという一番の欠点をしっかり理解している
だから試験の間も危険を避けて七日間をやり過ごしたのでしょう。
本当は弱いのに弱さを受け入れず「自分は強い」と思い込んで無謀な戦いに突っ込むような愚は侵しません。

しかし弱いと思い込み過ぎていることが、善逸のマインドブロックでしょう。
その後も何度も出てきますが、眠っている時(意識が無い状態)の善逸は強い。『霹靂一閃』しか使えないとはいえ、無駄なく技を繰り出すので次々強敵を倒していきます。
『遊郭編』では伊之助から「お前もうずっと眠ってたほうがいいんじゃね」と言われるほどに。

支援の場では、善逸のような方に多く出会います。自分は駄目だ、バカだ、愚かだ、弱いのだ、と現実以上に思い込んでいて、出来るはずの挑戦を避け、自信をつけるチャンスを逃しています。

物語の終盤の善逸は、起きている状態で戦い続けています。何故そうなったのかを覚えていないのですが、善逸が意識して自分の力を使おうと思う流れは、自分のマインドブロックを外せずに苦しんでいる方にはお手本になるかもしれません。

2.徹頭徹尾「長男」であり続ける炭治郎

『俺は長男だから我慢できた』
というのは、炭治郎が何度も口にするセリフです。
怪我をしていても、戦い続けて限界を超えていても、炭治郎を鼓舞する言葉は常に『長男である』ことです。鬼殺隊であること、ではありません。

これを、“長男教”と見る意見もあるようですが、私は「長男」は炭治郎の一番強いアイデンティティであると見ます。
長男=我慢できる→長男は我慢しなければいけない、ではなく、たくさんの弟妹がいるである、という立場によって、親も、禰󠄀豆子以外の家族を失っても、禰󠄀豆子を人間に戻すために強くあり続けなければいけない状況を肯定的に受け止めようと自分の中で葛藤しているのでしょう。
それが『次男だったら我慢できなかった』という言葉に繋がるように思えます。

また、禰豆子に対してだけでなく、同期である善逸や伊之助に対しても、労わったり諭したりと、兄のように接しています。
長男であることは、炭治郎にとって自分を支える柱であり、自分にとっての最大の価値なのでしょう。
そうした強い価値を持っているからこそ、炭治郎は最後まで自分を見失うことがなかったのでしょうね。

3.鬼殺隊の母「産屋敷耀哉」

鬼殺隊当主で「御館様」の産屋敷耀哉は、男性ですが、柔らかな物言いや、最高位の柱に対しても『私の子どもたち』と呼んだり、必ず下の名前で呼びかけるなど、その接し方は男性ながら母親そのものです。
そして隊士たち、特に柱達の耀哉への態度は、父への尊崇というより母への思慕のほうがしっくりきます。
産屋敷一族の当主でありながら、柱に責められても決して叱らない。「ごめんね」と、言葉の裏にある悲しみを汲み取ります。
「~~であらねばならない」といった規範を示す場面は出て来ません(あるのかもしれませんが、すみません、私は覚えてないです…)

4.人間味あふれる鬼「鬼舞辻無惨」

色んな作品に様々なタイプの悪役が出てきますが、無惨は稀に見る、一分の隙も無い悪役ですね。
下弦の鬼が一人を残してぶった切られた、通称「パワハラ会議」も、さすがにあのレベルの超理論を展開するパワハラ上司はいないでしょう。

余談ですが、私は同じくジャンプ作品の「BLEACH」が好きなのですが、そっちにも何人かラスボス的悪役が出てきます。しかし彼らには、実現させたいと考える世界観があり、そのために主人公と対峙しています。ある意味「悪人にも三分の理」的な魅力があります。

しかし無惨にはそれが全くありません。自分の延命・保身だけです。むき出しの欲望と恐怖への防衛反応です。
これ以上人間的な思考は無いように感じました。
もちろんリアルな人間は欲望を抑えて他者との共存を図ります。一人では生きていけないのが人間ですから、そういう意味でも他者を全て犠牲にして自分だけ生き残るのは、命を守るという欲望からも反しています。

ただ、「世界を平和にするため」という理念よりも、あくまで自分が生き残ることだけ考えて、自分が増やした同族(鬼)すら犠牲にしても平気な無惨は、作中の誰よりも人間らしいキャラなのかもしれません。


「漫画」、コミックとは、「戯画」を指します。戯画とは風刺画を含むおかしみを持った絵のこと。現実をユーモアを持って表現した文芸、芸術です。
鬼滅の刃に限らず、共鳴する人が多い作品とは、読んだ人の中の何かを「戯画化」しているからこそ面白いのでしょうね。

アニメ版の「隠れ里編」も楽しみです♪

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