支える人の辛さはどこから?
相手がどんな状況で何に困っていて、自分とどんな関係で、自分には何が求めらえているか、など、一口に「支える」と言っても千差万別だと思いますが、簡単なことではないこと、しんどさが増える覚悟が必要なことは共通しています。
支える人の辛さはどこから来るのでしょうか。
そして辛さに対してどう対処することが可能なのでしょうか。
1.支える人の辛さとは?
①自分が全責任を取ろうとする
特に妻・夫・子・親などの唯一無二の関係性だと「自分しかいない」と、腹を括りすぎてしまいます。
支えられる側としてはとても心強いですが、かといって実際に可能かというと、中々難しい。
問題が大きければ大きいほど無理です。
皮肉なことに、支える側を大切に思っているほど「失敗は出来ない」と思い込んで、責任の度合いが増していきます。
②周囲からの期待と無理解
支える人が近しい関係であるほど、周囲から「あなたがしっかりしないとね」と背を叩かれます。
それは周囲からの信頼の証かもしれませんが、疲れてくると重荷でしかありません。
少しでも弱音を吐くと「でも本人のほうがもっと辛いんだから」と、支える人の辛さは一蹴されます。
それが続くと「自分だけ辛い」ような孤独感が高まります。
③自分を後回しにする
目の前に辛そうな人がいて、自分しか支える人がいなくて、周囲からも「あなたが頑張るのよ」と言われ続ければ、毎日がその人中心に回るのは当然です。
一定期間だけ、と終わりが見えているなら踏ん張ることも出来ますが、病気の人を支える場合、オシリは見えません。
特にうつ病は明確な「完治」が無く波を繰り返すので、支える人のメンタル状態も一緒になって上がったり下がったりしてしまいます。
そうこうしているうちに自分の精神状態や身の回りがケアされず荒れていってしまいます。
2.支える人の辛さに、どう対処すればいい?
①責任を持つ=全部やる、ではないことを知る
支えられる人がいて、支える人がいる。それが自分だったとします。
支えられる人は自分では必要なことが出来ません。だから自分がそれを代行・代弁します。
実際に必要なことを実行する人は、別に作りましょう。
そして自分は「指揮者」になりましょう。
オーケストラの、ヴァイオリンやフルートを演奏する人を一つにまとめる役目です。自分が全部の楽器を演奏しようとしても無理ですし、そんなオーケストラは存在しません。
②必要なことを実行してくれる人(楽器の演奏者)を探す
例えば主治医、薬剤師、学校の担任の先生、職場の上司、夫・妻の両親や兄弟、友人、福祉サービスのヘルパーさん、ケースワーカーやソーシャルワーカー、カウンセラー、弁護士、市役所の担当者、民生委員、保健師、ご近所さん、自分以外の同居家族、など。他にもいるかもしれません。
そしてそれぞれの「実行してくれる内容」を把握します。
例えば心療内科のお医者さんに愚痴を聞いてもらうのは少し違います。聞いてくれる先生も稀にいますが、基本的に医療を施すのが医師なので、愚痴を聞いてもらう相手は他に探しましょう。
生活資金に不安がある場合、職場の上司に相談しても解決は難しい。頼れそうな親族がいなければソーシャルワーカーやケースワーカー、市役所に相談したほうが具体的な行動を取ってくれます。
③自分は通訳兼指揮者
自分が治療方法を考えて、心理療法を実施して、生活面の面倒も見て、今後の計画を一から全部考えて、気晴らしがしたいと言えば同行し、24時間付きっきり、と言うのはどう考えても無理です。
支えられる本人が自己主張出来ない状態なら、自分が聞き取って理解し、実行してくれる人に依頼しましょう。自分は調整役です。
しかし調整するといっても簡単ではないです。
自分自身のアドバイザーがいると更に安心ですね。
同じような悩みを過去に経験したことがある人や、日ごろから頼りにしている人など。
もちろん専門家に相談するのが一番安心です。
支えられる人の気持ちを解釈する通訳+要望を伝えて全体の進捗を見る指揮者役、それが自分です。
3.支える人も「支えてもらう」必要がある
身近な人を支える生活をしていると、他人の愚痴はよく聞くのに、自分が誰かに愚痴をこぼしたり相談したりすることは実はほとんどありません。
そのようなヒマがない、というのが一番大きいかもしれません。
または聞いて欲しい愚痴や相談内容が多すぎてどこから手をつけていいか分からない。
「何を相談したらいいか分からない」という気持ちは私自身も経験しました。
全部を一変してくれるような魔法でもあればいいのに、と。もちろんそんなものはないですが。
しかし、支える人まで倒れてしまうのが一番怖い。
そして「支える」「支えられる」は、大きな循環の中にあります。支えている人も誰かに支えてもらう必要があります。
自分にも「支援」が必要で、支援してくれる人がいることを忘れないようにしましょう。
今問題になっている「ヤングケアラー」は、まさか未成年の子どもが親の世話をするなんて、という、思い込みによる無知・無関心から生まれた犠牲だと考えます。
病気などの理由で第一義的に支えを必要としている人はもちろん辛い。
けれど、支えている人が辛くないわけはない。職業として支える人ですら辛さが無いわけではないのに、家族という不可抗力で「支える側」に回らざるを得なかった人なら尚更です。
自分がその役割を担うことに納得することも難しいかもしれません。
だからこそ、支える人も支えられる必要があることを覚えておいていただきたいと思います。