×自分に厳しく ○自分を律する

×自分に厳しく ○自分を律する

小さな時から「自分に厳しくありなさい」と叩き込まれてきませんでしたか?
恐らく年代関係なく、物心つくころから、優しさよりも厳しさのほうを優先させられて来たのではないでしょうか。

では、自分に厳しく、とは、どういう状態を指すのでしょうか。
他のことは必要ないのでしょうか。

必要なのは「自分に厳しく」ではなく、「自分を律する」ことです。

1.自分に厳しくするだけだとどうなるか

自分に厳しくするとは、具体的にどんなことでしょうか。

  • 甘えを許さない
  • 常に正しい行動をとり続ける
  • 自分は二の次、周囲を助けることが優先
  • 些細な過ちもあってはならない
  • 常に自分を監視し続ける

まるで監獄に閉じ込められているような印象です。
自分に対してこうした態度を取り続けると、どうなるでしょうか。

  • 逃げ場が無くなる
  • 何をしても達成感を感じられない
  • 自己評価が下がる
  • 他者からの優しさ、愛情、賞賛を受け入れられない
  • 他者にも厳しく接してしまう(他の方法が分からない)

自分に自信が持てず、周囲を信用できず、一人きりで閉じこもる将来が待っています。

2.「厳しく」の反対は?

では、「自分に厳しく」ではない状態とは、どんな状態でしょうか。

①甘やかす

自分に厳しくすることが好きな人が、一番嫌がりそうな言葉ですね。
しかし、「甘える」または「甘やかす」とは、そんなに悪いことなのでしょうか。
甘える、とは、自己防衛を手放して、誰か・何かの力を信じて委ねることです。
生まれたばかりの赤ん坊が母親に抱かれて笑ったり眠ったり泣いたりぐずったりするのはごく自然な姿です。
赤ん坊だから、自然なのでしょうか。
赤ん坊と母親の理想的な関係が成り立っているからこそ、自然なのです。
ならば、赤ん坊ではなくても、信じて委ねられる存在に対してなら、甘える・甘やかすのは自然で理想的な関係です。
自分に対して、自分を守ろうとせず、自分を信じることは、大人だからこそ出来る接し方です。

②優しくする

甘やかす、よりは多少引いた印象の言葉ですが、甘やかす、よりもっと意味が広くなります。
言い換えの言葉もたくさんありますね。
労わる、ねぎらう、気を配る、慈しむ、寄り添う、気持ちを分け合う。
対等で、敬意があり、近づき過ぎずに相手を尊重する距離感を感じます。

自分が傷ついて悲しんで疲れ果てている時に、コップ一杯の水を差しだすような気遣いが出来ると、必要以上に落ち込んだり自分を責めることへの歯止めにもなります。

③緩める

自分に厳しくあろうとすれば、常に緊張感をもって自分を監視し続けることになります。
ピンと張り詰めた状態は、長く続きません。
輪ゴムだって、ずっと伸びっぱなしになれば伸縮性を失って簡単に切れてしまいます。
人のメンタルはもっと緊張感に弱いです。
必要な場面で自分の尻を叩くためにも、緊張感が不要な時は緩めておく必要があります。

3.「厳しく」ではなく「自分を律する」

自分に厳しくする、と考えると、どうしても普段の行動を「減点方式」で採点・監視することになります。
これはとても簡単です。100点を与えなければいいのです。
毎朝6時に起きるルールに対して、5分だけ起床が遅れれば、もう0点ですから。

しかし、大事なのは、点数をつけることでも細かいルールを守ることでもありませんよね。

「○○な自分でありたい」という理想像に、どうやってアプローチし続けるか、です。

まずは自分の中に「○○でありたい」という理想の自己像や価値観を構築しましょう。
次に、「ありたい像」に近づくための方法を考えます。
そして思いついたことを繰り返します。合わなかったりやり辛ければ変更しましょう。
たまに続けることがしんどくなります。その時は休んでこれまでの努力を労わりましょう。
また元気になれば再開します。
それでも投げ出したくなったり、間違った道に進みそうになることもあるでしょう。
「厳しさ」が必要になるのは、この時だけです。
自分で自分を引っ叩いてでも、元の場所に引き戻しましょう。
そして戻ってこれた自分をほめて、休ませて、もう一度努力出来るよう励ましましょう。

自分を律するとは

つまり、必要なのは「厳しく」することではなく、「律する」姿勢なのです。

4.大事なのは「なりたい自分像」

自分に厳しくあれば、「正しさ」像が間違っていなければ、一見間違ったことをしない立派な人に見えるでしょう。
しかし本人の中には、心地よさも暖かさも明るさもありません。
どんなに正しく立派であっても、自分で自分に満足できなければ、努力する意味がないのです。

人が努力するのは、その自分なりの意味があるからです。
意味とは、何でしょうか。
それは、自分が「こうなりたい」と思う自分像です。
他者の目や、比較や、風評や、流行り廃りを全部抜きにして、自分がどんな人間でありたいか、を突き詰めた姿です。

それがしっかり築ければ、むやみに厳しくする必要はありません。
厳しく監視しなくても、理想像から外れすぎると思う行動はとりません。

厳しいか甘やかすか、ではなく、「なりたい自分像」を作り上げて、自分を律する方法を見つけましょう。

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