「森を見て木を見ず」?

「森を見て木を見ず」?
集団も個人も蔑ろにしない、お互いに敬意を忘れない社会とは

「木を見て森を見ず」とは、些細なことに気を取られて全体が見えていない、という意味ですよね。
しかし、この「木」を「自分自身」とすると、逆の現象が起きていないでしょうか。

森(周囲・集団・社会)ばかり見て、木(自分自身)を見ず、の状態です。

1.森ばかり見てしまうのはどうして?

何と言っても「目に入るから」というのが理由でしょう。

自分自身を見るのは、実は結構面倒臭い
顔や体を見るのは鏡を見ればいいですが、それでもわざわざ鏡のある場所へ移動したり鏡を出したりしないといけない。

自分の振る舞いや、それが他者にどう見えているか、等は尚更です。
録画した上で誰かにコメントしてもらわなければ見ることも知ることも出来ません。

他者や森全体は、見ようとすればすぐに見ることが出来ます。
見ようとしなくても目に入ってきます。

2.森だけ見ている、のはダメ?

ダメということはないでしょう。
森すら見ないで、関係ない空とか、森の向こう側にある山や川(=他の集団)のことばかり考えているよりはいいと思います。

ただ、全体ばかり見ていると、自分自身もその一部であり、自分の周囲に対して大なり小なり影響を与えている、ということを忘れてしまわないでしょうか。

何かトラブルが起きた時、森全体のことばかり見ていると、自分自身(木)や、周囲の人(他の木々)にとって重要なことを見過ごしてしまわないでしょうか。

森全体にとっては良しとされることが、木(個々人)にとっても良いこと、とは限らないのに。

3.木を見るメリットは?

面倒くさいですが、木(自分自身)を見ることは忘れてはいけないと思います。
それもたまにではなく、毎日、常に
自分の立っている場所、大きさ、周囲にどんな木や植物が生えていて、どんな動物がいて、日当たりがいい時間はいつ頃なのか、雨が降ったら周囲はどうなるのか。

残念ながら、森全体は木それぞれのこうした環境や特徴にはそれほど配慮してくれません。
木が森全体を気に掛けるほどには注意を払わないことがほとんどです。

木を大事に育てることが出来るのは、木自身なのです。
これだけ森全体のことを考えているのだから、あちらもこちらに配慮してくれるだろう、と期待して自分自身を放置すると、後から大変なことになってしまいます。

4.大事なのはバランス

木を見て森を見ず、も、森を見て木を見ず、も、どちらも偏っています。
まずは木をしっかり見る、その上で森を見る。

森(社会)は、木(個人)の集合体なのです。
木だけ見ていても森の強みを生かすことは出来ず、森全体のことばかり考えていたら、気がついたら自分が伐採されているかもしれません。

「この木何の木」のCMみたいな、1本で大きく広がる大木になることは中々難しいでしょう。あれはあれで、自分がしっかり根を張り、日当たりや風あたり、雨の量など条件がそろった土地を見極めて根を下ろす必要があります。
森がやってくれる役割を、木が自分自身で全部やらなければいけないのですから。


何十年か前までは、森のメリット=木のメリット、でやってこられていた時代でした。
でも最近は、森のメリットのために木に犠牲を強いることがまかり通っています。
それに対して、少しずつ木が「それは違うんじゃないの」と意見を言い出しました。

とてもいいことだと思います。
集団も個人も蔑ろにしない、お互いに敬意を忘れないでいたいですね。

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