強い想いと、言葉の強さ

あるプロスポーツ選手の発言が、大変な注目を集めていますね。 
強い想いがこめられているのだろう言葉が、色んな解釈をされて波紋を呼んでいるようです。
彼女を支持する人、非難する人、違う見解を述べる人。 
これだけ自己発信ツールが多様化しているのですから、日々色んな人がいろんな意見を発信していますが(私も含めて)、彼女ほど有名人だと影響や反響も半端ないのでしょう。 
「言った言葉」と相手の理解の仕方は違う
詳細は皆さまご存知かと思うのでここでは省きます。 
私はニュースを聞いたとき、「ああ、やっちゃったな~……」と感じました。
 今までの彼女の活動や発言から、常に社会問題や人の気持ちに敏感に反応する人なのだろう、そして黙って見ていることが出来ない人なのだろう、というのは想像に難くないです。 
自分もインタビューで辛い思いをしただけでなく、仲間がそういう場で『晒し者』になっているのを目にしたり、相談を受けたり、愚痴を聞いたりしている中で、何かしなくては、という使命感に駆られてしまったのかもしれません。 
自分の強い想いと、周囲から求められるものは違う
プロとして大きな大会で戦って、そして負けた時の気持ちは、同じような場に立った人にしか理解できないでしょう。
もちろん私にもわかりません。 集中し続けて何時間もの試合をこなした後で、結果が実らなかった悔しさを一人で抱えて、気持ちが高揚し続けている中で、質問者は意図していなかったとしても、選手にとっては耐えがたい話題もあるでしょう。 
それに応えることが自分たちの責務だと分かってはいても、状況や体調、メンタルによっては耐えられないこともある。 
その辛さを誰かに訴えたところで、「でもあなたはプロなんだから」と言われてしまえばそこまでです。
それは選手本人が一番よく分かっている。 
でもそれでも、自分達は木石ではない、心があるんだと分かって欲しい。 そんな思いが、 
- アスリートの心の健康状態が無視されていると感じていた
 - 自分を疑うような人の前には出たくない
 
という言葉に現れている気がします。 
「やっちゃったな~」というのは、この言葉の衝撃度の強さ。 
言われた側は言われた側で「心外だ」と感じるでしょう。 必要性があると思って聞いていることなのに、と。 
言い方・発信の仕方で伝わり方は全く違う
この発信をした時、ご本人がどんな状況で、健康状態だったのかは分かりません。 
ただ、本人にとっても、テニス選手全体にとっても大事な意見なのであれば、もう少し発信の仕方を工夫したら良かったのに、と思ってしまいました。 
これは多分この選手だけに限らず、普段の私たちの生活でも起こりうることですよね。 
その瞬間の興奮度や感情の高まりを、そのままぶつけたくなることはままあります。 
それまでに何度も主張してきたのに、ソフトな言い回しをしていたせいか相手に伝わらなかったり、聞き入れてもらえなかったりしたら、ドカンとかましたくなることもあります。 
その瞬間は、意見が通るかもしれません。 
しかしそれもある意味「力押し」の原理。
相手は言葉の衝撃度に圧されて受け入れただけであって、主張や思いまで受け入れてくれたわけではないのです。 
本当に伝えたいことは何か?
本当に伝えたいことは何でしょう。 自分の感情の強さでしょうか、それまで辛い思いをした報復でしょうか。 
そうではなく、「こういう理由があるから、今後はこんな風に出来ないか」という理想像があるなら、それを伝えることを優先する方法を考えましょう。 
数日後、うつ病歴があることも公表されましたね。 思いつめる性格の方なのかもしれません。 
だからこそ黙っていられなかったのかもしれないし、反発の大きさにショックを受けているでしょう。 
彼女のそばには力のある支援者がたくさんいると思います。 
そういう人たちと協力しながら、無駄に傷つかずにすむ主張方法を、今後は見つけ出してくれるといいな、と思います。 





