孤独で辛い…あなたが本当に望んでいることとは?

目次
- 「家族がいるのに、孤独」―誰にも言えなかった本音
- 誰かを想う気持ちが強い人ほど、孤独に陥りやすい
- 「自分の気持ち」より「誰かのため」が優先されてきた人生
- 「孤独」は、実は“自分の声”と出会うための扉
- ひとりじゃない。「私も大切にしていい」と思えるようになるには
- 終わりに:「心の軸」を取り戻すという選択肢
~一人で孤独を抱えて辛い思いしていませんか?~
私たちケアラーは、毎日大忙しですよね。仕事、家事、それ以外の生活の全てをほぼ一人で担っています。
忙しいから当然『なにからやればいいか』の優先順位をつけます。
一番後回しになっているのはいつでも『自分』なのではないでしょうか。
こんなに毎日頑張っているのに、何故か寂しい、虚しい、意味がないように感じるときがあって辛い…
そんなこと、ありませんか?
この記事は、そんな孤独を抱えて辛いあなたに向けた処方箋です。
「家族がいるのに、孤独」―誰にも言えなかった本音
①家族のケアをしているのに、なぜか満たされない
孤独、とは、嫌な響きですよね。
一人ぼっちで寂しくて誰ともつながっていない、広くて真っ暗な宇宙に一人で放り出されてしまったような心もとなさを思い浮かべます。
孤独=独りぼっち、と考えると、『自分には家族がいるのに、その家族のために頑張っているんだから孤独じゃないんだ』って否定してしまいます。
だけど今の自分の辛さを言語化すると『孤独』が一番しっくりくるのではないでしょうか。
家族のケアをしているのに孤独、という矛盾が、更にあなたを追い詰めてしまっています。
②「支えて当然」「私が頑張るしかない」と思っていたけれど…
うつ病に限らず病気は突然やってきます。予兆はあっても実際に「○○病です」と言われる瞬間は突然だと感じます。
突然だから、準備もないし、相談する暇もない。
「私が頑張るしかない!」、この決意が生活を支える唯一の土台になります。
それが結果的に長く続き、「私だけが頑張る」という意識が固定化してしまいます。
「だけ」って思っている、またはそういう状況にあることが、「頑張っている」事実をネガティブに捻じ曲げてしまうのです。
③心のどこかにある「誰かに気づいてほしい」という想い
家族なんだから、私しか頑張る人がいないのだから、とがむしゃらに努力して、だけどどんどん心が寂しくなってしまうんですよね。
頑張るってつまり努力だから、本来はとてもポジティブな行為のはず。なのに頑張るほど自分の心がやせ細っていく、削れていく感覚があるんですよね。
それは心のどこかで「頑張ってる私、寂しい・辛い・苦しいと思っている気持ちに気付いてほしい」と願っているから、なのではないでしょうか。
これは少しも悪いことじゃないです。今まで私たちは子どもの頃から、頑張ったら誰か、親とか先生とか友だちが褒めてくれた。だから頑張れた。何かしら「ご褒美」があるから「次も・また・もっと頑張ろう」って思えるんです。
だけどケアラーの努力はなぜか誰も褒めてくれない。
家の中のことは外からは見えないし、周りも「口を出しちゃいけない」って思ってるから、かもしれない。
でも確実に私たちの中に「気づいてほしい」という思いがあるのです。
誰かを想う気持ちが強い人ほど、孤独に陥りやすい
①孤独=悪いことではないけれど、抱えすぎると心が疲れてしまう
もう一度「孤独って何だろう」って考えてみたいと思います。
どうしてもネガティブなイメージを持ってしまいますよね。
でも、一人で何かするときって、少なからず孤独を感じます。
その孤独を飲み込んで目的を果たせるようになるのが「大人」なのかもしれません。
『じゃあやっぱり孤独には耐えないといけないんだよね…』
って考えちゃいましたよね。それもまた少し違います。
孤独が問題になるのは「常に」「なんでも」一人で抱え込もうとするときなのです。
一人で何かに取り組むときも、それ以前の準備がありますよね。相談とか、教えてもらったり、気持ちを共有してもらったり。
その段階も全部一人でやろうとすることで、孤独がネガティブワードになってしまうのです。
②感じやすい時ほど、自分を責めてしまうループ
心がストレスフルだったり疲労感を強く感じているとき、人は「もうこれ以上は無理!」って警告を発します。
そうすると、小さな刺激に対しても意味を読みとろうとし始めます。
例えば自分が何か意見を発したとき「そうなの?」って問い返されたら、「そうだよ」って言うだけでいいのに、「この人は私の意見に反対なのかな」と考え「私の意見は普通じゃないんだ」→「間違ってるんだ」→「私が悪かったんだ…」という結論まで行きついてしまったりします。
そして一人で抱え込む習慣がしみついてしまっているから、誰かに話して否定してもらう機会もありません。
結果としてどんどん自分を責め続けるループにはまり込んでしまうのです。
③気づかぬうちに「自分の声」が置き去りになっている?
困難な体験や、それによるストレスフルな状態は、自分への自信も低下させてしまいます。
自分が正しいと思えない、なのにケアラーは常に自分が判断して選択して行動しなければいけません。泳ぎに自信がないのに海で遠泳しなければいけないようなものです。どこで溺れるか分からず怖くてたまりませんよね。
その時、浮き輪のような役目を果たしてくれるのが「~~すべき思考」です。つい全力でしがみついてしまいます。
その結果、自分自身の「こうしたい」という声が置き去りになってしまいます。
どんなに頑張っても「すべき思考」を頼りに一人で抱え込んでいる状態を続ける限り、正体不明の孤独がついて回って辛いのです。
「自分の気持ち」より「誰かのため」が優先されてきた人生
①子ども、パートナー、親、職場……誰かの役に立つことが「生きがい」になっていた
誰かに役に立つ感覚って、充実感がありますよね。
ありがとう、って言ってもらえたり、第三者に「すごいね」って言われたり。自分が誰かのプラスになれた、って思えると自己肯定感も上がります。
こんなこと言わなくても「人のため」になることをするのは素晴らしいことです。
ただ、それだけが自分の価値を決める要素になってしまっていないか、を、振り返る必要があります。
なぜなら「誰かのため」に全力を傾ける人は「自分のため」となると途端に何も出来なくなってしまうからです。
自分のために頑張ることは我儘なのでは、自分勝手なのでは、と捉えてしまいます。そして「自分のため」に頑張ったところで誰からも感謝されませんから、意味がないとも思ってしまいます。
②ふと立ち止まったときに気づく「私って、今どうしたいの?」
なぜ自分のために頑張れないことがダメなのでしょう。
その理由は二つあります。
一つは「誰かのために頑張る」ことだけが生きがいになると、「自信を保つため」に他人へ依存・利用するようになる恐れがあるからです。
これが強まった関係が「共依存」です。
二つ目は、自分のために頑張れない、ということが、今の正体不明の孤独感の素だからです。
自分が何を望んでいるのか、何が欲しいのか、が分からないまま「自信を持ちたい」「価値がある人間だと思いたい」ために結果として他人のために頑張っているだけだから、自分の欲求が満たされないのです。
つまり、家族のために頑張り続けることで生まれた孤独感の正体は「自分の声を置き去りにした結果生まれた欲求不満」なのです。

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③“本当の私”が望んでいることは何でしょう?
『それでも私は今家族のために頑張らなきゃいけないの!』
という悲痛な声が聞こえて来そうです。その通りです。今あなたは家族のためにやらなければいけないこと・責任が山盛りです。
同時に
『このまま頑張り続けるなんて辛すぎる』
とも思っていますよね。
頑張らなければいけない現実、頑張ることが辛い本音。
この二つを同時に解決するのが「本当の私が望んでいること」を知ることです。
本当にあなたが望んでいることは何でしょう。
家族のケアを放棄することですか?本当に?本当ですか?
「孤独」は、実は“自分の声”と出会うための扉
①逃げたくなる孤独。でも、そこには宝物がある
孤独を感じた今だからこそ、「自分が本当に望んでいるものは何か」と向き合う機会が訪れた、とも言えます。
「自分が望んでいるものを考えるのは楽しいこと」、ではないんですよね、実は。
なぜなら「本当に望んでいること」とは、ただの物欲や「欲しいものリスト」とは全然別物だからです。
本当に自分が望んでいるものを探そうとすると、その途中で過去の辛い記憶や忘れたい自分自身を掘り起こすことになります。おそらく今「本当に欲しいもの」が分からないのも、そうしたネガティブな思い出を無意識に避け続けてきた結果なのではないでしょうか。
②誰かの期待ではなく、自分の本音に耳を澄ませる時間
自分以外の誰かの期待に応えるのは、実は自分自身の期待に応えるよりずっと簡単です。
逆の立場で考えてみましょう。自分が落としたハンカチを誰かが拾って届けてくれたら素直に「ありがとう」って思いますよね。でも自分が落としたものを自分が拾っても自分で自分に「ありがとう」とは言わないですよね。
誰かの期待に応えるのは、実はとても簡単なことなのです。
だけどそれを続けるだけでは孤独=欲求不満からは解放されません。
今、ここで、自分の本音を探る必要があるのです。
「私はどうしたい?」という問いは、 あなたの人生を変える力を持っています。
③あなたの孤独に名前を付けてあげよう
孤独感って、胸の真ん中に居座るブラックホールみたいな感じがしませんか?
趣味を楽しんだり、リラックスしたり、誰かと楽しい時間を過ごして気分が持ち直しても、すぐに孤独が幸福感を食べちゃって、またすぐ「お腹がすいたー、足らないよー」って騒ぎだすのではないでしょうか。
あなたは胸の真ん中に居座る孤独に振り回され続けているんですよね。真ん中にいるから、自分自身と勘違いしてしまって、孤独の正体を見極めることが出来ません。
なら、自分から一度切り離してみましょう。
そのための方法が「名前を付ける」です。
孤独を感じた時、何をしていても全て手を止めて孤独感と向き合いましょう。
- 身体のどこで感じるのか
- 大きさは? 重さは? 色は? 感触は?
- 動いてる? じっとしてる?
- それを見ているとどんな気持ちになる?
これらを元に名前を付けてあげましょう。
「ぷるぷるちゃん」(小さくて震えている)
「がつがつくん」(ごつくて重くて動かなそう)
「きゃんきゃん」(ずっと泣いてる)
みたいなイメージですね。
名前を付けることで自分とは別物と思えるようになります。
そうすると、孤独と落ち着いて向き合うことが可能になっていきます。


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ひとりじゃない。「私も大切にしていい」と思えるようになるには
①誰かのために生きる人生から、「自分も大切にできる人生」へ
家族をケアすることになった時、家族のためだけに頑張った結果孤独になってしまう方は、今までもずっと「誰かのために」頑張ることが多かった方かもしれません。
だとすると、「自分を大切に、自分のための人生」と言われても「???」と思ってしまいますよね。
人生はよく旅にたとえられます。
ただ、普通の旅よりずっと長く、そして結果どこへたどり着くのか、は、その時にならないと明確ではありません。
だから「どこを目指すのか」を考えると途方に暮れてしまいます。
必要なのは「どこへ向かうか」の方向です。
明確に○○を目指そう、とするのではなく「西へ向かおう」と決めて歩き始めるイメージです。
これが「自分軸」です。
②自分の心に“軸”があると、揺れにくくなる
「西へ向かって歩き続けよう」と決めることを自分軸に置き換えると、「○○という人間として毎日を生きよう」と決意する感じですね。
この「○○」の部分を、「自分の本当の声」を元に決めることが「自分を大切に生きる」こと、と言えるでしょう。
「自分の本当の声」を元に決める、が唯一絶対のルールです。
「世間的に」「他の人から見て」「みんなはどうするか」は全部必要ありません。
これを元にして生きてきたのが今までの「誰かのために頑張る」人生です。
誰か、ではなく自分の本心と向き合うことで、今の「頑張り」に自分で価値を見出すことが出来るようになります。
③“私”が変わると、家族との関係も変わっていく
自分の本当の声を元に自分軸を決めて動き出すと、生活の様々な場面で満足と納得を得ることが出来るようになります。
例えば「私は今の家族と協力して生きていきたい」という自分軸を立てたとします。
そしてうつ病の夫が「来月の復職は無理かもしれない…」とこぼしました。
自分の軸は「協力して生きる」です。自分一人が背負うのではありませんよね。
するとどういう対応になるでしょう。
『そうなんだね、じゃあ来月の復職は延期してもらう?そのための診断書を出して、今出来ることは何があるか、一緒に考えようよ』
と声をかけるかもしれません。
この時、うつ病の夫は「背負うべき負担」ではなく「協力者」「チームメイト」になるのです。
終わりに:「心の軸」を取り戻すという選択肢
自分軸とは、自分の心の中心にそびえる「柱」のようなイメージです。
この柱が太くどっしりしているほど、迷いが少なくなり、自分を信じることが出来、もし想定外の状況になっても「どうやって挽回すればいいか」を考えることが出来るようになります。
家族と共に生きるケアラーの自分軸は、太くてどっしりしているだけでは十分ではありません。
家族という唯一無二の大切な存在を無視するわけにはいかないからです。
自分「も」家族「も」大切にするためには、この自分軸は柔軟である方がより頼もしい支えになります。
ケアラーが心の中に軸を持つ、というのは、身勝手になることでも家族と離れて生きることでもありません。
「自分の本心に逆らわずに、家族のために出来ることを考える」ことが出来るようになる、ということです。
つまり、自分の本心を無視した上辺の「頑張り」から脱却し、自分を満足・充実させながら家族を支えることが出来るようになる未来が待っているのです。

【ご紹介】「心の軸を取り戻すコーチングプラン」
~あなたの人生を、“あなたのもの”として歩んでいきましょう~
誰かを支えながらも、自分を後回しにしない生き方にシフトチェンジし、「家族か自分か」ではなく「どちらも大切にできる」あなたになりませんか?
その最初の一歩を、私と一緒に踏み出してみましょう。