人と比べる心理の克服法
自分を人と比べることって日常的にやっていますよね。
服装、行動、仕事やその他基本的な属性含めて。
羨ましくなったり、落ち込んだり、逆に自分に自信がついたり、励まされたり。
比べた後にそれをどう捉えるか、が、克服のカギになります。
1.人と比べる心理の構造
まず、ある特定の誰かを見て知ることがスタートですね。
そして得た情報を前提として、自分自身を再評価します。
再評価した結果が、従来の自己評価より下がってしまった場合に、落ち込んだり妬んだりストレスを感じたり、という負の感情を引き起こすのです。
この、「知りえた他人の情報を前提として自分を再評価している」という段階がすでに落とし穴なのです。
評価の基準が、他人軸になってしまっているのです。
他人軸で評価する、とは、相対評価です。
小中学校の成績表のつけ方が相対評価です。クラス30人の中で上位1~2%が「5」、○%が4、3、2、下位1~2%が「1」です。
絶対に「1」が生まれるのです。
相対評価の本質は「勝ち負けへのこだわり」ではないでしょうか。
だから、誰かと比較して勝つことが目的だったり、そこに価値を見出したい人は、相対評価の中で上位を目指すのが良いと思います。
その時は自分が下位だったとしても落ち込む必要はありません。
上位を目指してまた頑張ればいいだけです。
しかし、問題は、人の価値は勝ち負けや比較した結果の評価ではない、ということです。
他人軸で比較した結果低い評価になってしまうことと、本当の価値を混同してしまうことが問題なのです。
2.人と比べる心理の克服は「自分軸」
自分軸とは、「自分は○○が好き」「AとBならBを選ぶ」のような選択や決断、判断をするときの自分なりの基準のことです。
食や服装、色の好みから職業選択やパートナー選択、どこに住むか、お金をどう使うかまで、幅広く活用しています。
自覚していなくても、何となく持っているものです。「自分らしいもの」と言うほうが近いかもしれません。
今の自分自身は、「自分らしいもの」で作り上げられています。朝食にパンを食べるかフルーツを食べるか、は、自分なりの理由があって決めますよね。その繰り返しが今の自分です。
自分が○○が良い、と思って生きてきた結果を、突然全くの他人の基準と比較したら、評価も何もあったものじゃありません。
内的世界の常識やルールが全部否定されます。いきなり文化の違う外国へ引っ張り出されて罪人扱いされるようなものです。
人と比べること自体が問題なのではありません。
比べたとしても、自分の中の判断基準=自分軸で比較、再評価することが大事なのです。
3.自分軸をブラさないためには
何よりもまずは「自分軸は何か」をしっかり自覚しておくことが重要です。
- 好きなものは何か
- 心地よいものは何か
- どんな環境でなら自分の力を発揮できるか
- 今まで何を頑張ってきたか
- これからどんな人間になりたいか、どんな人生を送りたいか
- 嫌いなものは何か
- 苦手なことは何か
- どんな環境だと自分らしくいられないか
- 辛かったことはなにか、どうやって乗り越えたか
など、プラス面・マイナス面含めて、立体的にリアルに自分の軸を明確化しましょう。
軸が良いものか悪いものか、もっと言うと他人から見て見栄えがするかどうか、は考えなくていいです。むしろそこで「見栄え」を考えたら、すでに自分軸ではなくなります。
自分軸を知るためには、生まれてから今までやってきたこと、経験してきたことの棚卸をするといいでしょう。
3歳くらいまでは親から聞いた話が主かもしれません。その後は幼稚園→小学校→中学校→高校……と、1年ずつ丁寧に遡っていきましょう。
結構忘れていることが出てきます。昔は大好きだったことや大の仲良しだった友達のことも今は忘れていたかもしれません。
棚卸をしながら、「どうして今の自分になったのか」のステップや意義を再確認出来ます。
今までの自分の人生に納得が出来ます。
この納得感が強いほど、自分軸への信頼感も高まります。
「どうして今の自分になったのか」を、リアルに自覚出来るようになると、簡単に他人軸に揺さぶられることが無くなっていきます。
自分と人を比べるとしても、必要以上に自己評価を下げたり、妬んだり、「でも、だって……」というジレンマに陥ることも少なくなるでしょう。
4.自分の靴を履いて歩こう
他人には他人の「自分軸」があります。それはその人が今まで生きてきた中で培われた軸であり基準です。
その人にしか通用しません。
違う基準を大事にして生きてきた自分に適用しようとしても、そもそも無理なのです。
他人軸に合わせて相対評価で自分に失望しながら生きるのは、他人のために作られた靴を履いて長距離を歩き続けるようなものです。
どう考えても歩きづらいし、長続きしないですよね。
人と比べることで悩むときの克服法は、「自分軸をブラさない」こと、と言えるでしょう。