精神障害者の家族が抱える問題
精神障害者と一口に言っても、症状や程度は様々です。
入院して何年も経つ人から、薬を飲みながら生活している人。仕事をするとしても一般就労から福祉的就労やその準備段階にある方など。そしてそれぞれに家族がいます。
精神障害者の家族が抱える問題は3つです。
一つ目は自分自身の意思を貫きづらくなること。
二つ目は悩みの相談先がないこと。
三つ目は自分が何に困っているのか、を自覚しづらいことです。
目次
法律上の「家族」の役割の変遷
精神保健の世界では、家族の役割は法律の中で度々見直されています。
大きな変化は以下のものがあります。
1900年:精神病者監護法
家族は「監護義務者」→「監護スル義務ヲ負フ」→私宅監置の法制化
1950年:精神衛生法
家族は「保護義務者」
1993年:精神保健法
家族は「保護者」→家族における義務の一方的負担関係
2013年:精神保健福祉法
「保護者制度」の廃止⇒「家族等の同意」の文言として、家族の役割が定義される
精神の病気の治療法が開発され、病院数も増えていくことで少しずつ家族内⇒施設へと精神病者の居場所が変化していき、それに伴って「家族が丸抱え」することが減っていきます。
それでも法律の中に「家族」の定義は残っています。
制度上の定義が変わっても、精神障害者に対する第一の責任者として期待されている点は変わっていないのです。
こちらもご参照ください! 【精神障がい者と家族に役立つ社会資源ハンドブック(厚生労働省)】(PDF形式)
家族が経験する・してきた苦労
法律の中で、精神障害者にまつわる全責任を負ってきた家族は、実際にはどんな苦労を経験してきたでしょうか。
一つ目は家族自身の生活環境の変化です。
精神障害の内容や程度によっては日中世話を必要としたり一人にすることが出来なかったり、一人にすることが不安なために家族が仕事を辞めたり転職せざるを得なくなることがあります。
それまでの仕事を続けるとしても、勤務形態を調整する必要があったり、残業や出張などが出来なくなることで昇進昇給が望めなくなることもあるでしょう。
二つ目は家族自身の自己実現や趣味から遠ざかることです。
自分のために時間や体力、お金を使う余裕がなくなります。
それ以上に気持ちがそっちへ向かわなくなります。
目の前で自分の家族が苦しんでいるのを見ているので、症状が安定しても「自分だけ楽しいことをするなんて許されない」と考えてしまう人もいます。
三つ目は自責の念です。
病気になったのは、一緒に暮らしてきた自分のせいだ、と考えてしまいます。
もっと早い段階で気づいてあげられたら。結婚したのが自分じゃなかったら。こんなに苦しむことはなかったかもしれない。
更に症状による言動で、家族関係が悪化することもあります。病気のせいで言っているんだ、と頭ではわかっても、その言葉で傷ついているのは変わりありません。
そして家族が負担を感じていることを察知した本人にも、当然ながら影響が出ます。
こちらも読まれています 『精神疾患患者の家族の方へ:辛いと言えてますか?』(惠然庵コラム)
精神障害者家族に必要なもの 3つ
私自身も経験者ですが、家族が精神障害になったばかりの頃は、わからないことだらけで必死です。しばらく経って振り返ってみると、「こんな支援・サービスがあればよかったのに」ということが色々出てきます。
一つ目は、病気についての十分な知識です。
初診時に病院に同行しても、どんな病気で、どんな経緯をたどって、どんなリスクがあって、どんな治療法があるのか、日常生活の注意点、処方された薬の効き方や副作用など、知りたいことは山ほどあるのにそれをしっかり知る機会はありません。
病院側も説明するだけの時間がない、というのもあるでしょうし、家族側も気が動転してますから受け入れる状態にない、ということもあるでしょう。
二つ目は生活支援情報です。
医療につながるのは比較的難しくありません。本人が受診を拒否していなければ、心療内科やメンタルクリニックは駅前にほぼ必ずあります。
しかし生活が困ったり、これから困ることが予想されるけどどうしたらいいかわからない、という悩みに対応してくれる機関の情報にリーチすることはかなり困難です。
三つ目は本人も家族も信頼できる専門家との出会いです。
以前他のコラムでもお話ししましたが、主治医との出会いは偶然とご縁です。優秀かそうでないかというよりも、人柄の相性がとても大きく左右します。
話を聞いてもらいたいときに聞いてもらえない(待合室を見て患者側が遠慮する)、副作用がつらいと訴えたのに薬を変更してもらえない(主治医なりの考えがあるのだろうけれど説明してもらえない・説明に納得できない)など。
カウンセラーやケースワーカーとなると更にハードルが上がります。自分が住んでいる地域にそうした支援やサービスがあるかどうか、も、地域差があるでしょう。
こうした支援にたどりつけないとき、どうするか。
そのカバーをしているのが家族です。
セカンドオピニオンやインフォームドコンセントがまだ十分といえない中で、家族はそのはざまに立って「調整弁」になっているのです。
こちらも読まれています 『メンタルケアラーへ10のアドバイス』(惠然庵コラム)
期待される「社会資源開発」と「アウトリーチ」
こうした要望に応えるために必要なものは、「社会資源」を増やすことと「アウトリーチ」の普及だと思います。
社会資源とは、
「福祉のために使用するさまざまな制度やサービス。医療機器など物的資源、ボランティアなど人的資源を含む。」
JLogos
のことです。
具体的には、精神障害者が自分の力で生きていくために必要なサポートや活用できるサービスを指します。
精神障害に限らず、病気や障害を持った人が必要とするサポートは多種多様です。「こんなサービスがあればいいのに」と声を上げることが出来ずにいる人もいます。何が必要か、何があればもっとできることが増えるのか、を考える余裕がないという人もいるでしょう。
そうした「見えない要望」を形にしていく必要があります。
もう一つが「アウトリーチ」です。
アウトリーチ(英: Outreach)とは、「手を伸ばすこと」を意味する英語から派生した言葉で、公的機関や文化施設などによる地域への出張サービスのことである。
wikipedia
<3>で挙げた「情報の不足」は、現在の福祉サービスが待ち体制にあるからです。
もちろん、必要なサービスは千差万別ですし、社会保障制度改革で「措置から契約へ」と謡われた通り、国から押し付けるのではなく、当事者が主体的に選択・契約出来るものにすることで自由と人権を守ろう、という考えのもとかもしれません。
しかし、知っている人にとっては当たり前のものが、知らない人にとってはそうではありません。選択以前に知らなければそれも出来ません。
社会資源を増やし、それを専門家・行政側から提示し、その中から当事者と家族が選ぶ、という流れがどこでもどんな段階でも行われることが、望ましい姿だと思っています。
問題の共有から始めよう
もちろんここで書いたことによって、「家族も苦しむから精神障害者はダメなんだ」ということではありません。
本人が悪いわけでも、家族が悪いわけでもない。病気は、辛いとか痛いとかはあっても、「良い悪い」があるはずがありません。
ただ、精神障害があっても、「生きたい人生を生きる権利」は誰にでもあります。病気になったから最初から全部諦める、ということではありません。当然それは家族にも言えることです。
個人が出来ることとしてまずは「こんなことで困っている」「こんなことが出来るといいな」というような声を上げていくことではないでしょうか。
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≪参考文献≫
「精神保健福祉の理論と相談援助の展開Ⅱ 第2版」中央法規
「1485人の家族からの提言 私たちはこんな支援を求めています」個性労働省科学研究こころの健康科学研究事業
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