家族の信頼と挑戦:精神疾患と向き合うときの強さと脆さ
家族の誰かが精神疾患を抱えることは、ただの病気以上に家族全体に影響を及ぼします。
日々の生活における理解不足や、社会的な偏見に直面することが、家族にとっての大きな挑戦です。
精神疾患は目に見えないため、家族でさえその特性や症状を理解するのは簡単ではありません。
しかし、家族が病気を理解しようと努力し、信頼関係を築き直すことで、共に困難を乗り越える力が生まれます。
このプロセスについて解説します。
目次
家族は挑戦して強くなる
自分の家族の誰かが精神疾患になった。
これはただ「病気になった」というショックや心配、不安だけにとどまりません。
精神疾患のもつ特性が、不安や心配に別の方向性を与えてしまいます。
精神疾患の持つ特性とは、「見えない」と「社会的な偏見」です。
偏見のほうは、数十年前の時代と比べれば少しずつ薄れてきたかもしれません。
それだけ患者数が増えているからだと思います。
ただその反面、インターネットやSNSの普及により、心無いネットスラングが増え、正しくない病識とイメージが独り歩きしています。
普段SNSを使っている人は、多かれ少なかれそのような用語を目にしているでしょう。
そしてそこで揶揄されている状態に自分の家族がなってしまった、という現実に戸惑うとしても仕方がありません。
家族として心配も気遣いもするけれど、受け止めきれない症状もあります。
精神疾患患者の家族にとって最初の「挑戦」が、病気を理解し受け止めること、と言えるでしょう。
では「強さ」とは何でしょうか。
受け入れ難い状況を受容して頑強なメンタルを手に入れる、ことではありません。
強さとは、家族内の信頼関係のことです。
傍から見ると『なぜそうなる?!』と首をかしげるような生活スタイルや行動をとることが増えるでしょう。
朝になっても起きてこない、起きても顔を洗わない、着の身着のまま、表情は暗く、口を開くとネガティブなことばかり、会社へ連絡も出来ず、家から一歩も出られない。
病気なのだから、と言われたところで、この状態の患者と一緒に生活するのは家族ですから、まったく理解できないままでは生活が回らなくなります。
理解できないまま放置すると、双方の信頼度はどんどん下がっていきます。
信頼していない相手に辛い気持ち(病気本人)や、生活上の困りごと(家族側)を話せるはずもないですよね。
一番聞いてほしい、聞いてもらえるはずの家族に相談が出来ないまま、お互いに悩みや問題を抱え込んですれ違い続けることになります。
当然状況は良くならず、時間が経つほど悪化するでしょう。
そして相談が出来ない状況を含めて、家族に対する信頼感が低減してしまうのです。
病気に対する理解を深める挑戦は、この信頼度をもう一度回復することに貢献します。
- なぜ朝起きてこないのか
- なぜ家から出られないのか
- なぜ自分の上司に連絡が出来ないのか
その理由を理解できると、この現象への見方が変わります。見方が変わると接し方が変わります。
家族からの接し方が変われば、患者本人も自分が今どんな状態になっているか、を話しやすくなります。
その情報は更に家族側にとっては病気を理解するために役立ちます。
そこで患者⇔家族の会話が継続します。
会話する習慣が無くならなければ、必要に応じて家族側も自分の困りごとを話すことが出来ます。
双方、抱え込まず一番聞いてほしい相手に相談が出来ることで、信頼関係が「強く」なります。
精神疾患が家族にもたらす試練
家族に求められる挑戦は、対患者での「病気への理解」だけではありません。
「対社会」という側面こそ、家族が受け持たざるを得ない挑戦です。
先ほどお話したインターネットの中に氾濫する精神疾患・障害を揶揄する表現は、直接自分達へ向けられたものではなかったとしても影響を及ぼします。
『自分達もこういう風に見られているんだ』
という「セルフスティグマ」です。スティグマとは「烙印」という意味です。誰か特定の人から名指しされたわけではないけれど、社会の傾向などから自分(達)にある種のネガティブな枠組みを与えてしまうことです。
誰か特定の人から言われた言葉なら、その人と直接話し合って誤解を解くことも出来ます。
しかし不特定多数のどこの誰かも分からない「空気」から感じるスティグマは、払しょくするのは容易ではありません。
セルフスティグマが強まるほど、家族以外の第三者に対して『きっと自分達のことを変な人、間違っている人、劣っている人として見ているのだろう』という想定をしてしまいます。
自分のことを好意的に見ていない(だろう)人に対してオープンになることは出来ません。
結果的に『誰のことも信用できない、この問題(精神疾患)は家族内だけで乗り越えなければいけないんだ』という考えに至り、家族の孤立化が深まります。
家族内で結束できているとしても、家族だけでどうにか出来るほど精神疾患が及ぼす影響は小さくありません。
- 支える家族のメンタルヘルス
- 家族としての未来像
- 金銭問題
- 生活環境
は、どこかで家族以外の第三者のサポートを必要とします。
家族が社会から孤立すると、そのサポートを受けるどころか探すことも出来ません。
日本の福祉制度は「申請主義」です。
病院に通っているから役所が勝手に手帳や年金の申請書類を郵送してくれる、ということはありません。当事者や家族が動かなくては支援してもらえないのです。
とはいえ、スティグマ・偏見を感じながら第三者に助けを求めるのは簡単ではありません。
- 偏見が怖い
- 助けてもらいたい
この二つの相反する感情とどう向き合うか、が、家族が次に挑戦しなければいけない試練と言えるでしょう。
家族は弱まるし脆くなる
「家族信仰」と言ってもいい風潮がありますよね。日本だけではないと思いますが、日本社会にはまだまだ「家族なんだから(責任を取れ)」という圧力を感じます。
少し逸れますが、精神保健福祉関連の法律は、「家族」についての定義を変え続けてきました。
1900年:精神病者監護法
家族は「監護義務者」→「監護スル義務ヲ負フ」→私宅監置の法制化
1950年:精神衛生法
家族は「保護義務者」
1993年:精神保健法
家族は「保護者」→家族における義務の一方的負担関係
2013年:精神保健福祉法
「保護者制度」の廃止⇒「家族等の同意」の文言として、家族の役割が定義される
どんどん家族に求められる責任が小さくなっています。
とはいえ、「家族なんだから」という意識はそう簡単に弱まりません。
それは「家族」という関係の強みではありますが、効果的に機能しない場合逆の影響をもたらします。
「家族なんだから分かり合えて当たり前」としたら、「家族なのに理解してもらえない/理解出来ないなんておかしい」となってしまい、「家族」であることが強みになるどころか枷・重石になってしまいます。
家族が他の関係よりも強固でサポート力も理解力も高いのは、お互いに意思疎通が出来て信頼関係が安定していて相互尊重出来ている場合です。
精神疾患は、この状態を取り戻すまで、むしろ「家族」を意識することは逆効果になってしまうのです。
『家族だから○○で当たり前』という認識が家族を弱体化させます。
更に、『家族だから○○で当たり前』なのにそうなれていない現状に無力感やストレスを抱え自己評価を下げてしまうことで、支える家族側は『もっと頑張らなければ』と自分を追い詰めます。
追い詰めることでセルフケアを怠り、ギリギリまで無理をし続け、場合によっては家族側も何らかの疾患を抱える事態になりかねません。
結果として『共倒れ』してしまうのです。
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現状を乗り越えるためのステップ
家族が本来の強みを発揮して協力し合って現状を乗り越えるためには、大きく分けて次の3つの要素が必要です。
支援を受ける重要性と有効性を理解する
精神疾患を抱える家族を支える人々(ケアラー)は、多くの場合、自分一人で全てを抱え込もうとしがちです。
しかし、先ほどお話したように、精神疾患は家族内だけで対処しきれるほど容易い課題ではありません。
家族のサポートを継続的に行うためには、他者からの支援を適切に受け入れることが極めて重要です。
支援を受けることのメリットとしては以下の点が挙げられます。
- 精神的な安定の維持
サポートを受けることで、自分自身が感じているストレスや不安を軽減し、心の安定を保つことができます。 - 問題の客観視
他者の視点を借りることで、問題に対する新しい理解やアプローチを得ることができ、自分一人では気づけなかった解決策にたどり着ける可能性があります。 - 孤立感の解消
精神疾患に対する理解が社会的に不足している場合も多く、ケアラーは孤立感を感じやすいです。適切な支援を受けることで、孤立感を和らげ、安心感や連帯感を得ることができます。 - 具体的な支援
公的な支援制度(障害者手帳、障害年金、医療補助、障害者福祉など)を活用するためにも、支援を受けることに抵抗があるなら、それを低減する必要があります。
家庭内の心理的安全性
心理的安全性とは、「自分が意見を言っても批判されない・拒絶されない・必要以上の責任を追及されることはないと信じることが出来て、安心して発言できる場」のことです。
家族の誰かが病気になると、先ずこれが揺るぎます。
「こんなことを言ったらうつがひどくなるのでは、落ち込ませるのでは、明日会社にいけなくなるのでは」と、自分の意見による二次・三次的影響を先に考えるようになり、言わなければいけないことも口に出来なくなるのです。
確かに精神疾患の人とのコミュニケーションには配慮が必要です。しかしその配慮だけを優先させ、他のことを全部後回しにしてしまえば、家族の生活は立ち行かなくなります。
例えば夫(父)がうつ病になって休職している場合。
すぐに職場復帰できる状況ではないことは家族にもわかっています。
しかし生活費を考えれば、いつまでいくらくらい休職中の手当てが見込めるのか、それが満了した後どうすればいいのか、を曖昧にしたままでは家族側の心労が増すばかりです。
以下のポイントをおさえつつ、必要な相談、この場合は「休職中の給与補償について」の相談が出来る場を作る必要があるでしょう。
- お互いを尊重する
- 批判的な態度を取らない
- 相手の立場や感情に共感する
- 積極的に褒めたり、感謝を伝えたりする
- 家族内でのルールや期待について一貫性を持つ
- 感情を抑えるのではなく、適切に表現する
- 家族メンバーのプライバシーを尊重する
- 協力的な環境を作る
- 問題が発生したとき、感情的にならず、冷静に対処する
コミュニケーションの改善と振り返り
精神疾患、特にうつ病の人とのコミュニケーションには工夫と配慮が必要です。
一番広まっているのは「頑張って、と言ってはいけない」です。
しかしそれだけでは家族としてのコミュニケーションは成立しません。
一般的なNGや推奨ルールは色々ありますが、極論を言うと「試行錯誤しながら家庭内ルールを探っていくしかない」です。
頑張って、がNGだとしても、「何もする気が起きない、こんな自分はもうだめだ」と言っている人に「そうだね」と返すことが満点の対応でしょうか。なんか違いますよね。
うつ病(精神疾患)になった家族とのコミュニケーションは「見守り」をする立場で行いましょう。
- 基本、本人に任せる
- 失敗しても未達でも、その結果も本人のもの
- 「手伝って欲しい」「相談したい」と言われたら協力する
です。
何か困ったら声かけてね、というメッセージを発信し続けることが家族側の役割です。
その中で、自分達家族内固有の特徴が見えてきます。
声かけAによって⇒相手がどう受け取ったか
声かけBによって⇒拒絶された
声かけCによって⇒自分が疲れる結果になった
などが積み重なって、家族内ルールが構築されます。
ここで素晴らしいのは、ルールが出来上がることではありません。
試行錯誤しながらコミュニケーションを取り続けた継続力です。
その経験は、これからまた変化していく症状と環境に対応する力にもなります。
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人として成長する
「雨降って地固まる」とはよく言ったもので、家族の病気は「雨」どころか大災害です。失うものも、損なわれるものも、諦めなければいけないものも出てきます。
中には「どうして自分が……」と理不尽に感じざるを得ないことも起こるでしょう。
その失うもの・諦めるものが、誰か一人だけに偏った犠牲なら、それは間違っていると私は考えます。
家族だからと何もかも差し出す必要は無いし、そんなことをしたところで誰が幸せになれるのでしょうか。
結局家族とは、最後に「これで良かったね」と実感出来ることが、家族であることの目標であり価値なのです。
「時固まる」とは、家族としての関係性が以前より盤石に柔軟に奥深くなる、と言うこともありますが、それだけではありません。
最初は「無理!」と思って受け入れることが出来なかった現実に向き合い、受け容れ、対処した経験は、確実に自分の経験値として残ります。
その過程で身についたスキルや柔軟性は、自分が成長出来た実感になります。
次の困難(なんて考えたくないかもしれませんが)が何か起こったときに、『あの時乗り越えられたんだから今度もまた何とかなる』と考えることが出来ます。
そして今回の経験で失敗したことは最初から成功できるし、出来なかったことに再挑戦することが出来ます。最適解にたどり着くまでの時間も短縮出来ます。
それが人間の「学習力」です。
まとめ
- 家族は、精神疾患のネガティブな特性に立ち向かうことになる
- 精神疾患は、家族に「対社会」と向き合う試練をもたらす
- 「家族」の概念が家族を弱めたり損なったりすることがある
- 現状を乗り越えるための3つのステップ
- 精神疾患を通じて、家族も人として成長する
家族は自分事ではないのに精神疾患・障害が持ち込むネガティブ要素と向き合わなければいけなくなります。
これを美化するつもりはありません。正直、良い意味に捉えようと頑張ったところで限界があります。
前項でお話した「雨降って」は、全て丸く収まった後にならないと実感出来ません。
家族だから「仕方ない、やるか」のような、諦めにも似た向き合い方になるでしょう。
でもそれが、自分も相手も守る向き合い方だと思います。
一歩引いて目の前の現実を俯瞰しながら自分に出来ることをするスタンスで乗り越えることが、強さも脆さも併せ持つ「家族」を守ることへつながります。
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