相手の言いなりになる<後編>
前編では、相手の言いなりになってしまうときの心情分析、そのデメリットについて考えてみました。
後編では、「どうして言いなりになってしまうのか」「そうならないための対策は?」について考えてみたいと思います。
相手の言いなりになってしまう理由4つ
大きく分けて以下の4つが考えられるでしょう。
- (自分の意見を伝えた時の)相手の反応を先読みし、意見を言うことを躊躇してしまう
- 自分の意見をすぐに言葉にして相手に伝えることが出来ない・苦手
- 自分の意見が採用された場合に好ましくない結果になったとき、自分の責任になるのが怖い
- 自分で「良い・悪い」を決める判断基準がないため、迷ってしまう
それぞれ細かく見ていきたいと思います。
<理由1>(自分の意見を伝えた時の)相手の反応を先読みし、意見を言うことを躊躇してしまう
状況によっては正しい判断になることがあります。
例えば緊急時。すぐに決断しなくてはいけない場面で、時間をかけて相談しあうことが出来ないときは、「合わせられる」ほうが合わせてしまうほうが効率がいいです。
その選択の結果としてまた別の問題が起きたら、その時また考えればいいのですから。
しかし、意見が食い違っていてお互いの意見を聞きあう時間があるのに、相談しないのは何故でしょうか。
それは、相手の反応がネガティブなものだった時に、その責任まで自分のものだ、と思ってしまっているのです。
だからどうにかしてポジティブな反応を引き出さなければいけない、と考えて、その弊害となりそうな「自分の意見」を引っ込めてしまうのです。
この場合の対策としては、「自分は自分、相手は相手」と、自分と相手の間に境界線を引くことをお勧めします。
何がいいことで、何が嫌なことなのか、を判断するのは個人です。それが夫婦や恋人、親友、親子であっても、どう感じるか、判断するかは、その人にしか決められません。
ネガティブな反応を示すこともまた、その人の「判断」であって、こちら側が責任を負う必要はない、ということを知っておきましょう。
<理由2>自分の意見をすぐに言葉にして相手に伝えることが出来ない・苦手
「アレキシサイミア」というのをご存じでしょうか。日本語では「失感情症」と言ったりするので、すごく重い病気のように聞こえるかもしれませんが、意味は
『自分の感情を表現する言葉を見つけるのが難しい』特徴のことです。
何か強い言葉を投げかけられたときに、ショックを受けているのですが、それが悲しみなのか怒りなのか罪悪感なのか、すぐに判断が出来ません。感情の種類が分からないので、気持ちを言葉にすることが出来ず、当然相手に伝えることが出来ません。
しかし体に現れることがあります。涙が出てしまったり、震えたり、おなかが痛くなったりします。でもその変化をもってして自分の意見が相手に伝わるわけではありませんので、その場では相手に合わせるしかできなくなってしまいます。
アレキシサイミアではないとしても、自分の感情を自分で言葉にすることが苦手な方は、普段から「言語化」の練習をすることをお勧めします。
一番いいのは「日記」をつける習慣です。
日記は、基本的に誰にも読まれません。ですから、その日にあったこと、それに対して自分がその場でどうなったか、時間が経ってから(日記を書いているときなど)考え直して、本当は何と言いたかったのか、を、言語化・文章化してみましょう。
自分自身の振り返りにもなりますし、繰り返すことで言語化がスムーズになっていきます。
<理由3>自分の意見が採用され好ましくない結果になったとき、自分の責任になるのが怖い
仕事の場や、家族間の重要な判断をするときなどに起こりやすいと思います。
自分が出した意見が採用され、それが後になって望ましくない結果になったときに、「自分の責任だ」と思ってしまうため、意見を言うのが怖くなってしまうのです。
自分が責任を取るくらいなら、誰か他の人の意見に合わせておくほうが安心だ、と思っているのです。
理由1と似た心理状態だと思います。自分の責任範囲を必要ないところまで拡大解釈してしまっています。
職場の会議などを想定してみましょう。
新しく業者を選定するときなどは、関係者が集まって意見を出し合います。
それぞれの立場・職分の意見が出そろって初めて、正しく検討することが出来ます。
テーマが大きければ大きいほど、誰か一人の意見がそのままその後の責任に結び付くことはありません。
判断材料の一つに過ぎないのです。
もし仮に自分の出した意見がそのまま通ったとしても、それは話し合いの場の「総意」であって、誰か一人の責任ではない、ということを覚えておきましょう。
<理由4>自分で「良い・悪い」を決める判断基準がない
相手に合わせるかどうか、というより、どうしたいか・どうすべきか、を判断するための基準が自分の中にないと、誰かの意見にのっかることが「普通」になっていきます。
何かを検討するときの「主語」が、「夫/妻」「親/子」「上司」「恋人」、または「みんな」、さらに言うと「世間一般」になっているのです。
これも、状況によってはメリットがあるスキルです。
自分にとってそれほど重要ではなかったり、興味がないテーマについての意見を求められた時です。
結果がどう転ぼうが、「どっちでもいいや」と思っているなら、誰かの意見に乗っかるのは考える手間が省けて便利です。
しかし、自分にとって大事な問題だとしたら、どうでしょうか。
例えば進学。
「みんな進学するから」「親が進学しろっていうから」「〇〇ちゃんがA大学行くから」
という理由で決めてしまい、実際に進学して単位取得に苦労したとしても、その苦労は自分が背負わなければいけません。
結婚などもそうですね。
「普通は〇才までに結婚するから」という理由で焦って結婚してしまい、後で苦労した、という経験談は枚挙にいとまがありません。
この対策は明確です。自分の中で自分なりの「価値観」を育てることです。
この場合の価値観とは、『自分はこういう人間でありたい』というような、生きる方向性を定めるためのコンパスのようなものです。
目指す方向が決まっていれば、風が強くても弱くても、向かう方向を見失うことはありません。
逆に方向が決まっていなければ、周囲から受ける風に振り回されて、同じところでぐるぐる回り続けるだけで少しも前進していない、という状況にもなりかねません。
自分なりの価値観をもって判断することが出来るようになると、どうなるでしょうか。
まず、自分の考えをしっかり吟味するようになります。
そして必要な場面で相手に伝えることが出来ます。
伝えたうえで相手に受け入れてもらえると、自己評価が上がり、自信がつきます。
長い目で見て、人生の質が上がっていくのです。
<まとめ>
相手の言いなりになって自分の意見を言えないのは、私が言うまでもなくご自身がとても辛く、ジレンマを感じ続けていると思われます。
自分の意見を言語化して自分なりの方向性をもって相手に伝えることが出来ると、
- そのプロセスを経験することで、相手の気持ちも、偏りなく受け入れることが出来るようになる
- イエス・ノーを柔軟に伝えられることで、自分の自由度が増す
- 自分の意見に耳を傾けてもらえることで、相手との関係が良化・強化される
- 自分の意見に自信を持てるようになり、自己肯定感がアップしてメンタルが改善される
のようなメリットが考えられます。
慣れるまでは試行錯誤になりますが、少しずつ、必要な時に必要な分量の自分の意見を伝えられるようになっていきたいですね。