本当の“失敗”とは

本当の“失敗”とは
問題は「何を失敗と捉えるか」

失敗、ミス、やらかし、うっかり。
色んな言い方がありますが、概ねあまり歓迎されない事態です。
当然当事者は落ち込むし、テンション下がるし、復旧作業が必要になって疲れるし、周囲へ申し訳なく感じるし、踏んだり蹴ったりです。

かといって、「常に正しく成功し続ける」のは無理です。

問題は「何を失敗と捉えるか」ではないでしょうか。

1.失敗とは何か

今更考えなくてもよさそうなものですが、改めて定義づけしたいと思います。

<失敗>
「方法がまずかったり情勢が悪かったりで、目的が達せられないこと」

Oxford Languages
失敗自体が悪いことではない

何かの目的・目標があり、それを達成するためにした行動の結果が、目的・目標としたものと違った、ということですよね。

テストで80点以上取ろうと勉強したが、テストの結果は75点だった。
3ヶ月で3キロ瘦せようと思って頑張ったけど、3か月後測ったら、2.5キロしか減って無かった。

または、料理をしていて、酢を入れるはずがみりんを入れてしまった。
今日の「15時」までに提出しなければいけない書類を、「5時(17時)まで」と勘違いしていて遅れた。

これらの共通点は何でしょうか。
それは、「リトライ(再試行)が可能」ということです。

2.どうやってリカバリー(復旧)する?

他の方法、次善策を考えよう

書類の出し忘れも、余程重要なものでなければ、何かしらのリカバリー方法はあるはずです。
第1段階の窓口では受付が終了していても、別の窓口なら間に合う、など。
テストで5点足らなかった時も、80点取らなければいけなかった理由によっては、決着をつけるべきは残念に思っている自分の心だけです。

失敗=目的が達せられなかった、だとすると、それはたくさんある方法のうちの一つがダメだった、というだけのことです。

1つ目の方法では達成できなかった、では、他にどんな方法があるのか?

次善策を考えることが重要です。

3.目的達成以外の価値は?

プロセスも価値がある

目的・目標とは、ゴールです。
明確なゴールがあると、具体的な行動をとることが出来ます。
ゴールへ向けて進み続けるのです。

しかし、「情勢が悪かったり」して、当初の目的を達成できなかったとして、それまでしてきたことは全部ムダなのでしょうか。

テストで80点以上を取るために1日1時間その教科を勉強した。
でも結果は5点足りなかった。
80点以上、という目的は達成できなかった。
でも、「75点取れた」のは、どうしてでしょう?
80点以上を目指して1日1時間勉強した、という「プロセス」があったからです。

目的の意味にもよりますが、プロセスそのものの価値を忘れないようにしましょう。

4.自責や後悔は期限付きにする

後悔や自責は期限付き

当初の想定通りにことを進めようとするのは大事です。
しかし当然ながら、想定通りに進まないこともまたよくあることです。

想定通りに進まないことを、事実以上の「悪」や「罪」のように重く受け止めすぎると、どうなるでしょう。
自責の念で一杯になり、「失敗をどうカバーするか」と考えることが出来なくなります。
「皆に申し訳ない」「恥ずかしい」「評価が下がった」「これからは信頼してもらえない」
という、感情に支配されてしまいます。

後悔することは無駄ではないし、悪いことでもない。
そして、無理にマイナス感情を回避しようとすると、いずれ失敗すらしない「行動しない」状態になってしまいます。
ずっと後悔や不安、自責にばかり囚われすぎると、そのことがまた新たな「失敗」に繋がってしまいます。

どれだけの時間を費やせるか、は、個人の特性や状況によって異なると思いますが、
「落ち込むのは〇日/〇時間だけ」
と、期限をつけ、それを過ぎたら<2>の次善策へ向けて行動を開始しましょう。

5.本当の「失敗」とは

周囲の環境

たった一度のトライで目的に達成しないことを、即座に「失敗」として切り捨てるのは、あまりに勿体ない話です。

失敗、と捉えるから、落ち込むし、落ち込みたくないから、そもそもやろうとしなくなってしまうのだとしたら、「失敗」だと考えなければいいのではないでしょうか。

失敗ではなく、試行錯誤の第一段階なのです。

Aというやり方ではだめだった⇒ではBでやってみよう⇒A’でもいかもしれない⇒AAというやり方もあるかな……、など。

そしてこのとき大事なのは、「試行錯誤の第一段階」であることを受け容れてくれる環境です。
「方法がまずかったり情勢が悪かったりで、目的が達せられないこと」という失敗の定義にも、それが含まれています。
失敗とは、行為者一人だけの責任でも原因でも無いのです。
そして、試行錯誤・リトライが出来ないとしたら、それも行為者だけの責任ではありません。

本当の失敗とは、1回しか挑戦しないこと・出来ないこと、なのです。


環境は、すぐに変えることはできません。
特に「風土」を変えようとすると、ある程度の地位や権力、時間、協力者が必要です。

それでも、失敗の原因が自分一人ではない情勢によっては成功していたかもしれないし、次にやるときには方法を変えれば成功するかもしれない、と理解していることはとても重要です。

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本当の“失敗”とは” に対して3件のコメントがあります。

  1. 匿名 より:

    失敗の理論ですか
    興味深く読ませて頂きました。
    本当ですね 失敗の定義することがとっても大事な論点でしょうか
    失敗とは何か
    計画段階での疎かな計画を失敗というのか
    緻密な計画を作り万全を期したのに目標が達成できなかった これは失敗では無いでしょう 目標が未達になった事を失敗なんて言うと悲しくなりますよ。
    オリンピックで優勝できなかった選手は全部失敗なんでしょうか
    それならあまりにも情けないですね。
    考えていけば失敗の方が多いじゃ無いでしょうか
    これを機会に考えさせられる課題にぶつかりました。
    目標未達は失敗でないのでは無いでしょうか
    その工程で自分にとって成長する何かがある事、これからの人生に生き方に役立つ事を見つけられないのが失敗の定義では無いでしょうか。
    高校生が甲子園目指して頑張ります。
    でも一握りの人間しか甲子園に行けないのですね
    でも負けたチームの選手は負けたことから多くのことを学び立派に成長していきますね
    だから目標未達はミスでは無い。
    ほんとに難しい課題ですね。
    素晴らしいお話ありがとうございました

    1. 惠然庵 より:

      匿名さま

      非常に貴重なご意見、ありがとうございます。
      「未達」は決して失敗などではなく、到達までの通過ポイントだったり、新しい道への分岐点だったり、今までの道のりの振り返りだったり、色んな意味がありますよね。
      おっしゃっている甲子園のような、最初から枠が決まっていれば尚更、プロセスはとても貴重です。
      その積み重ねが、今は想像もしていなかったようなゴールへの1ステップなのかもしれませんから。

      こちらこそたくさん学ばせていただきました。
      今後もよろしくお願いいたします。

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