承認欲求の使い方
ほとんど一般用語化している「承認欲求」。
あまりいいイメージとしては使われないような気がします。
自分の承認欲求を持て余している、とか、他人の承認欲求に振り回される、などのようなときに聞きますね。
欲求ですから、打ち消したり押さえつけようとしても多分無理です。
一時的に成功しても、ぶり返しが来るでしょう。
打ち消すことが出来ないなら、いっそ有効活用しては如何でしょうか。
①そもそも「承認欲求」とは?
心理学者のA.マズローが唱えた「欲求階層説」の中のステップの一つです。
- 他者から認められたい、名声・賞賛を得たい
- 自立性を確立したい、自己尊重、スキルや知識の獲得
が両方含まれています。
- 生きていくために最低限必要な「生理的欲求」、
- 身の安全を確保するための「安全の欲求」、
- 集団に所属することで安心感を得る「所属の欲求」
の3つが満たされた次に現れるのが「承認欲求」です。
②なぜ「やっかい」なのか
元々備わっている欲求ですから、理性や知性で抑え込むことは難しいと考えたほうがいいでしょう。
人によって強弱がありますから、他人と比べて承認欲求が強かったとしても、それは自分の個性です。悪いことではありません。
ただ、「何でもいいから周囲から認められたい!」と思ってしまうと、叶えられず辛くなります。
「承認されたい」とは、名声や賞賛を得たいことなのであれば、名声や賞賛に値する何かを持っている、または成し遂げている・成し遂げようとしている状態にならなくてはいけません。
③どう使えばいい?
抑えることも打ち消すことも出来ないなら、有効活用する、というのはどうでしょうか。
何かの集団の中にあって、他のメンバーから、役に立つ存在だと認められたい気持ちはごく自然な流れです。
太古の昔、生きていくために集団になった祖先たちは、役に立たない人間を切り捨てていたのでしょう。生きていくためには何かしら「自分は役に立つ」ことをアピールする必要があった。
そしてその力が誰よりも大きい人がリーダーとなり、他者の称賛や承認を一身に受けていた。その構図は今も変わりません。
ただし、役に立たないからと言って切り捨てられることはほとんどなくなりました。だから、最悪の事態(切り捨てられる)が起こることはないでしょう。
集団の中で役に立つとは、どういうことでしょうか。
それは、その集団にとって必要な何かを行える、ということです。
家庭であれば、家族生活にとって必要な役割や仕事を遂行する、
会社なら、自分が所属する部署の目標達成に向けてプラスになる業務を担う、
学校なら、周囲が安心して学校へ通ってこられるような交友関係を構築する。
つまり、「自分」ではなく「周囲」を見ることから始めるのです。
色んな役割があるでしょう。気が付く人は、たくさん過ぎて困るかもしれません。
その中から、
- 今の自分に出来ること
- 自分が「やりたい」と思うこと
を条件にして、役割を選びましょう。
好きな男の子にお弁当を作ってあげたいから、そのために料理を覚えたい。だからお母さんの家事を手伝う。
自分の部署は印刷やコピーをする人が多いから、用紙を常に補充しておく。
すぐにその努力やチャレンジに気づいてくれる人は多くはないかもしれません。
ただ、ちゃんと見てくれている人は必ずいます。そういう人にこそ、気づいてもらうことが、集団の中で有用だと思われるためには一番効果があります。
④さらにプラスの効果もある
更に、自分が何かの役割を担うようになると、周囲の人が何をしているか、にも目が行くようになります。
他者の意外な努力や役割に、感心したり感謝することも出てくるでしょう。
そうしたら、それを素直に表現してみてはどうでしょうか。
それもまた、「他者を承認する」という一つの役割です。それによってまたあなたが「承認される」ようになり、承認のプラスのらせんが出来上がります。
他者から承認を得たい、と思うこと自体を、欠点のように捉える必要はありません。
自分と周囲にとってプラスになるような使い方を、考えてみましょう。