弱音をどう扱うかで、次は変わる ― 一人で解決し続けてきた人のための視点 ―

「弱音を言っても、結局問題は何も解決しない」
そう感じたことがある人は、少なくないはずです。
むしろ、その結論に至るまで、あなたは十分すぎるほど考え、試し、耐えてきたのではないでしょうか。
軽い気持ちで辿り着いた答えではない。
だから簡単に手放せないし、否定もされたくない。
この記事は、「もっと弱音を言いましょう」と勧めるものではありません。
また、「人を頼ればいい」という話でもありません。
ただ一つ、あなたが選び続けてきたその姿勢を、少しだけ別の角度から見てみるための時間です。
目次
- 1.「弱音を言っても問題は解決しない」は、半分事実、半分は違う
- 2.それが事実だとして、あなたは何を選んできたか
- 3.弱音を言わない=問題解決、の姿勢が示すものは
- 4.「弱音を言わない」という強い覚悟の正体
- 5.弱音を言わないあなたの内的世界を見てみると…
- 6.弱音を言うと、次の選択が可能になる
- 7.まとめ:まだあなたは終わりじゃない
- ≪一人で背負うのが、もう無理な方へ≫
1.「弱音を言っても問題は解決しない」は、半分事実、半分は違う
『人に弱音を言ったところで、私の問題は何も解決しないから』、だから言わない、という選択をしているのですよね。
これまであなたは「問題が解決する、悩みが解消する、困っている状況が解消される」ためにどうしたらいいか、を一生懸命考えてきました。
その経験から生まれたのが、この考えなのだと思います。
この法則は、あなたのご経験が生んだ「事実」なのだと思います。
実際、誰かに弱音を言ったところで、家族のうつ病は良くならないし、子どもの不登校が解消するわけでも、部下が仕事に励んでくれるわけでもありません。
あなたの一番の願望は果たされない。
それどころか「他人に要らぬ心配をさせたかも」という気遣いや、求めていないアドバイスや反対意見によってまた別の悩みやストレスを抱え込むこともあったでしょう。
トータルで考えたら「人に弱音を言うことはマイナスになる」という体感があるのかもしれません。
しかし、それはあなたの経験から導き出した一つの側面に過ぎない、と、言われたらどう思われますか?
弱音って、何でしょうね。
愚痴だったり、ネガティブな感情表現だったり、不安の表れだったりするでしょう。
つまり、その時点での自分の本心です。
本当の気持ちって、実は中々自覚出来ません。
ジャーナリングなどの言語化手法もいいですが、ある程度の練習が必要になります。
一番手っ取り早いのは、目の前にいる人に話すことです。
誰かに自分の気持ちを理解してもらいたい、と考えるから、言葉の表現だけでなく、身体のジェスチャーや表情や声のトーンなどをフル活用して伝えようとします。
この過程で、自分で自分の本心を理解します。
自分がどれだけ辛かったか、何が辛かったか、本当はどうあって欲しかったのか。
話せば話すほどクリアになっていきます。
この感覚が、回り回っていつか自分の問題解決へと繋がっていくのです。
人に弱音を吐く(言う)という行為は、間接的に自分の問題解決に繋がっていくのです。
だから、「人に弱音を言っても問題は解決しないだろう」という法則は、半分は事実、半分はまだ確定しなくていい可能性を含んでいるのです。
2.それが事実だとして、あなたは何を選んできたか
「弱音を言っても問題は解決しない」という法則は、あなたの試行錯誤が生み出した事実である、とお話しました。
では、なぜこの法則が生まれたのでしょうか。
- 弱音を吐いてしまった自分が間違っていた?
- 話す相手が適切ではなかった?
- 別の話し方をしていたら、解決に繋がっていた?
これも振り返る価値のある問いではありますが、もっと深く考察してみましょう。
「人前で弱音を漏らす」ことに対して、あなたはどう考えていますか。
もしかしたらあまり肯定的な印象は持ってないのではないでしょうか。
「弱音」という言葉がすでに後ろ向きですもんね。
しかし、疲れ切って切羽詰まって「もうこれ以上頑張れない、だけど自分しか頑張れる人はいないから」という限界地点にいるとき、「どうしたの?」と気遣ってくれる人が現れれば、弱音・泣き言・愚痴の一つもこぼれるものです。
それが漏れたのはなぜか。
自分一人では無理かもしれない、という状況を、少しでも緩和したかったのかもしれません。
もしこの時、具体的に「○○して欲しい」「○○が足りない」「○○で困っている」を相手が実現できる形で伝えたとしたら、また何か違う局面も生まれたでしょう。
しかしあなたは(私も)そうしなかった。
なぜなら、常日頃から「他人にどうしてもらいたいか」を考えていなかったから、です。
何故考えていなかったのでしょう。
それは「何とかするのは私の役割で責任だから」という強い思いがあったから、ではないでしょうか。
それは「覚悟」とか「自負」と呼べるものかもしれません。
他人を拒絶するわけでも切り捨てる訳でもない。
しかし「これは私の領分だ」という、境界線を張っていたのではないでしょうか。
「弱音を吐く」という行動に問題解決という点では意味がない、という法則を生んだのは、「私自身で問題を解決する」という、あなたの価値観が存在したから、ではないでしょうか。
3.弱音を言わない=問題解決、の姿勢が示すものは
弱音を言わない、というより、誰かに弱音を言う、という選択肢が無いのが、あなたや私のような立場の人の特徴と言えるでしょう。
目の前の大きな問題は、おそらく一筋縄ではいかない、複雑な事情や背景が絡んだ問題なのではないでしょうか。
誰かに理解してもらうためには、まず「どんなことで悩んでいるのか」を理解してもらう必要があります。
これ……ものすごく手間暇がかかりますよね。
説明するこちらだけじゃなく、聞く側にとっても、です。
相手が「全部聞くよ」と言ってくれたところで、中々難しい。
その上、事情を分かってもらえたところで、こちらがにっちもさっちも行かなくなっている理由や心境まで共感してもらおうとすると、難易度はさらに上がります。
共感とは、コミュニケーションの中でも一番難しい関わり方ですから。
『なぜ共感まで必要なのか、私はそこまで求めてないよ』
と思った方もいるかもしれません。
それ、本当ですか?
誰かについ愚痴や不安を漏らした時、
『だったら○○すればいいんじゃないの』
と一刀両断された経験、あるのではないでしょうか。
○○に当てはまるのは、離婚・転職・別居・異動願・絶縁、などです。
これを言われて、ショックを受けたこともあるのではないでしょうか。
確かにこれらも解決策の一つかもしれない。頭では理解できる。
けれどそれを選ぶことは、あなたの本意ではないのではないでしょうか。
ここでまた「どうして?」を問います。
離婚、転職、絶縁。
こうした強力なカードを切らない理由。
それこそが、「弱音を言わない」本当の意味なのだと思います。
4.「弱音を言わない」という強い覚悟の正体
おそらくあなたは、「弱音を言えない」のではなく「言わない」選択をしたのしょう。
弱音は、言おうと思えば思いつきますよね。
愚痴も不満も不平も全部弱音です。これが頭にも心にも1つもない、なんてことはないでしょう。
だけど、「言わない」。
言いたくない、のとも違う。
聞いてくれる相手が全くいないわけでもない。
今時SNSでもAIでも、聞いてくれる「相手」はいくらでもいます。
もしかしたらたまには活用しているかもしれません。
その時「あなたは充分頑張ってる」「すごいと思う」「責任感が強いから」などの肯定的なフィードバックも返って来るでしょう。
それは同意するし、嬉しかったりする。
ただ、本当に欲しいものではないのでしょう。
努力してる、頑張ってる、責任感が強い。
こうした評価で何かが変わる段階は、とうに過ぎているのです。
それはもう、あなたにとっては当たり前の「事実」。
それを前提として、この先自分はどうしていくことが出来るのか、に頭を悩ませている状態なんですよね。
弱音を言うことで得られるものは、既にあなたの中にある。
だから「言っても仕方がない」から、言わない。相手も自分も徒労に終わる可能性が高いから。
弱音を言わない姿勢は、更にその先を見据えている覚悟からきているのだと、私は思います。
あなたはどう思いますか?
<おすすめコラム>家族の認知の歪み―「私が頑張らなきゃ…」が負担を増やしていませんか?
5.弱音を言わないあなたの内的世界を見てみると…
様々な事情が絡んで、役割や責任を負わざるを得なくなったあなた。
最初は怖くて、不安で、戸惑って、押しつぶされそうだった。
それでも背負い続けたことで、自分なりの背負い方・コツを身に着けた。
そして今、ここにいる。
「ずっと頑張って来た」
「頑張った分、本当に疲れた」
「後悔はゼロじゃない、でも自分を褒めてあげたいとも思ってる」
「その自分は、これからどうしていけばいいんだろう」
「だってまだ、問題は解決していない。今の状態が固定していいとは思っていないから」
毎日の生活は実践の場です。選択と実行と振り返りの連続です。
それを長い間続けてきたあなたが求めるものは、実はとても質の高い何かなのです。
「なにか」とは、アドバイスだったり、寄り添い方だったり、手助けだったり、関係性だったり。
新しく何かを学ぼうとしても「それはもうわかってる」ことが多いのは、あなたの経験が既にそうした知識を凌駕しているからです。
これは誇れる実績であると同時に、あなたが初期に感じた不安をもう一度掻き立てる現実かもしれません。
『この問題は、やはり私一人で何とかしなければいけないのではないか』
責任と自負が融合した「覚悟」を決めていてもなお、再びそれを揺るがすような危機を感じているのかもしれません。
6.弱音を言うと、次の選択が可能になる
では、再び最初の不安に立ち戻ったあなたにとって、「人に弱音を言う」という行為はどんな意味を持つか、考えてみましょう。
先ほど触れましたが、弱音とは「自分の本心の一側面」です。あくまで一部です。
心は実は一枚岩じゃありません。
疲れ果てて傷ついてもう何も頑張れない、と思っている時ですら「~したい」は微かに感じています。
逆もまたあります。万事順調で一点の曇りも無し! なんてこともないです。「仕事では」そうでも「生活面」は違ったりする。人の心は多面的です。
多面的だけど、分断もされていない。
仕事が順調、だけど家族の関わりに不安がある、というとき、家族の問題による辛さを仕事の成功がカバーしてくれるし、家族の問題を投げ捨てないために仕事を頑張る、ということもあります。
それと同じく、悩みに関する弱音を人に話す、ということは、自分の「もっと頑張ろう、何とかしよう」という気持ちへの後押しになります。
自分はずっと頑張って来たことで、確実に傷ついてるし疲れている。今はフルスロットルでは働けない。
だけど自分の役割や責任を投げ出そうとは思ってない。それは望んでない。
この2つの相反する気持ちを調整するのが「弱音」です。
疲れた、しんどい、なんかイライラする、焦ってるかも、これからどうしよう。
こうした思いを言葉にすることで、一時停止することが出来ます。
実際に今やってみてもいいでしょう。ひとりごとでいいです。話し相手が目の前にいることを想像して、自分の弱音を声に出して言ってみてください。
もちろん、現実の状況は何も変わりません。
けれどあなたの心は何かを感じ取ったのではないでしょうか。
その「なにか」が、さっきまでの八方塞がり感に小さな穴をあけてくれます。
7.まとめ:まだあなたは終わりじゃない
ここまで読み進めたあなたは、「弱音を言わない人」なのではなく、「弱音をどう扱うかを、ずっと考え続けてきた人」なのだと思います。
言っても解決しない、という経験則を持ちながらも、それで思考を止めてはいない。だから今も、立ち止まりながら考え続けているのでしょう。
弱音を言うことで何かが劇的に変わるわけではありません。
問題が消えるわけでも、状況が一気に好転するわけでもない。
それでも、弱音を言葉にした瞬間、あなたは一度「自分の内側」を外から眺める位置に立っています。
それは、これまでと同じ場所に立ち続けることとは、少し違います。
まだ選んでいない選択肢があるかもしれない。
まだ名前を付けていない感情があるかもしれない。
答えは、ここにはありません。
でも、問いを持ったまま立てる場所には、あなたはもう来ています。
だからこそ言えるのです。
まだ、あなたは終わりじゃない。


