自分に嘘をつく

自分に嘘をつく
長い目で見れば嘘はデメリット大

嘘を吐く、とは、まあ大抵は良くない行動に分類されます。
それでも人は嘘をつきます。
嘘だと認識して言うかどうかは別ですし、その理由も色々です。

嘘には、色んな効果があります。
しかし、自分に対してつく嘘は、デメリットしかありません。

1.嘘をつく時

嘘とは、事実と異なる情報を誰かに伝えることです。
何かしら事実ではないことを言う理由があるときに出てくるものです。

「嘘も方便」ということわざがありますが、事実ではない情報を伝えたほうがその場は丸く収まるときに、嘘はとても便利です。
一時的ではあっても思いやりとも受け取れます。

2.嘘の役割

事実ではないことを伝えるのが「嘘」なのだとすると、その時の嘘とは、どんな役割を果たしているのでしょうか。

それは、事実大多数にとってデメリットが大きくなる場合です。
それも、感情面のデメリットです。

よくあるのは、誰かが病気になったとき。
ここでの「事実」とは、医師の見立てです。
「嘘」は、医師の見立てとは違う想定です。
本気で病気を治そうとするなら、または余命を充実させたいなら、医師の見立てをそのまま本人に伝えるべきでしょう。
しかし、本人が受ける衝撃を予想し、「それは可哀想だ」と思った親族が、あえて違う内容を伝えることで、苦悩から守ろうとします。

守ったのは本人の身体の健康ではなく、です。

3.相手が自分のとき

しかし対自分の場合、どんな意味を持つでしょうか。
嘘が事実ではないと、知っているのにあえて「自分に対して嘘をつく」とき。

まず一つは、あえて事実ではない事柄を事実であるように自分に思い込ませているとき。
家族がもしかしたら病気かもしれない。本当なら病院に行くべきだけれど、今は普通にしていて病気には見えない。
だからきっと、病気かもしれないと思ったのは気のせいなのだ、と。

もう一つは、自分の真実=本心を自覚できていないとき。
本当はもっと仕事でのキャリアを伸ばしたいと思っているのに、そうした気持ちは主婦であり母である自分には「相応しくない」、自分はもっと家庭や子どものために頑張る「べきだ」と考えて、本心に気づきそうになると目を逸らして「べき」世界へ突き進む。

二つ目は、一見嘘ではありません。周囲からは嘘だと批判される要素はどこにもない上に、むしろ称賛され歓迎されるでしょう。
だから自分でも「これでいいのだ」という思いを強く持ってしまい、更に本心からは遠ざかります。

4.最終的には嘘はデメリットが大きい

嘘をつくべきではない、嘘は悪だ、うそつきは悪い奴だ。

と言われていても、人は誰でも嘘をつきます
保身のため、その場しのぎ、相手のため、自分を励ますため、など。
嘘を言うそのときは、何かしらのメリットがあるのでしょう。

しかし、長い目で見て、その嘘は良い状況をもたらすでしょうか
最終段階まで綿密に計画されたステップの一つであれば、「作戦」といえなくもないですが、これは「嘘」の範疇を超えています。
日常的に個人が口にする「嘘」は、長くつき続けることは出来ないし、どこかで事実と衝突・乖離します。「実はあれは嘘だった」と告白しなければいけない場面が訪れます。

自分の本心に無自覚なまま違う価値に従って生きる「嘘」は、それこそデメリットしかもたらしません。
自分の価値観に背を向け続けることは、いずれ心の中の葛藤が肥大して、メンタルヘルスを損なう大きな原因にもなります。


何が嘘で、嘘ではないのか、を考え始めるときりがありません。

大切なのは、嘘か真実か、ではなく、最終的に「ありたい姿」を自分で自覚出来ているか、そのためにはどうふるまうことが良いのか、を忘れずにいることではないでしょうか。

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