大事なのは「納得」
「〇〇、やめれば?」
と言われるものって、誰でも一つくらいありますよね。
私はコーヒーかもしれません。たまに飲み過ぎる…
でも「分かっちゃいるけど」というのが、止められない当人の言い分でもあります。
こういう時に必要なのは「納得」ではないでしょうか。
1.「~であるべき」は何の役にも立たない
理想や正論は世の中いくらでもありますが、大人ならその正しさはよく分かっているはずです。
タバコは体に良くない、運動したほうがいい、野菜をたくさん食べよう、夜更かしより早起きのほうが効率がいい、等々。
けれど、「~べき」というだけで実行に移せるなら、誰も苦労しませんよね。
2.必要なのは正誤ではなく有益かどうか
正しいからやる、間違っているからやらない、に則って行動できる部分は、それに越したことはありません。
しかし上述したように、問題は「わかっちゃいるけど(間違っていることは分かっている、正しいことをしたほうがいいことも分ってる)」という場合です。
このとき、止めようか続けようか迷ったら、「どっちのほうが自分にとってメリットがあるか」を考えてみてはどうでしょうか。
例えば私の場合、コーヒーの飲み過ぎはカフェインの過剰摂取に繋がるので、胃腸によろしくありません。睡眠障害や、心臓への負担も怖いです。
では明日から一切飲まない? それもまたデメリットがあります。何せ台好物ですから。
なので、健康被害が出ないレベルまで量を減らす、そして徐々にコーヒーを飲まなくても大丈夫な日を増やしていく、という方法が考えられます。
お酒やたばこも同じような方法が考えられますね。
ただ、無暗に我慢することで、ストレスが溜まって、別の嗜好品の摂取が増えたり、ストレス反応が出てしまっては本末転倒です。
目的は「カフェインを摂取しない」ことではなく、「健康を保つ」ことなのですから。
長い目で総合的に見て、一番自分にメリットが大きい手段を取る、と考えると、「~べき」と考えるよりも抵抗感が減ると思います。
3.それでもダメなら納得するまでやってみる
健康を害するようなものだと、突き詰めるのは危険が大きいですが、そうでないならいっそのこと「これは駄目なんだ」と思うところまで突き詰めて、自分を納得させてから止める、というのもアリかな、と思います。
たとえば仕事などが該当するかもしれません。
自分のやり方にだけ固執して周囲のアドバイスを聞き入れずに没頭してしまう場合。
周囲がアドバイスするということは、何かしらやり方に問題がある(時間かけすぎ、同じ失敗繰り返し過ぎ、一人で頑張り過ぎて周囲を頼らなさすぎ、など)可能性があります。
しかし、自分で納得していないのに誰かの言う通りに進めた結果、失敗に終わったらどう考えるでしょう。
「〇〇さんの言う通りにやったら失敗した」と、折角アドバイスしてくれた人を犯人にした挙句、「やはりアドバイスなど役に立たない」という間違った学習に繋がりかねません。
しかし、試行錯誤の果てに、八方ふさがりで何も思いつかないところまで来てしまえば、周囲のアドバイスは「光明」です。私だったら飛びつきます。
もうダメだ、これが限界だ、やはり今までのやり方ではだめだったんだ、と思うのは、失敗ではなく「発見」であり「納得」です。
何かを始める時も、止める時も、諦めるときも、その決断に対して自分自身が納得していないと、途中で迷いが生じて、折角やってきたことを逆戻りすることもあります。
どんな形や状態で「納得できる」かは個人差がありますので、どこまで行けば自分は納得するのか、を、自分で理解しておくことも重要かと思います。
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