“自分一人くらい…”の心理
イソップ寓話の「樽の中のワイン」という話をご存知でしょうか。
昔、祝い事のために、村人たちがワインを持ち寄ることになりました。
持ってきた人は決められた樽の中にワインを入れておくように、というルールです。
当日、さあみんなでワインを飲もうとなって樽から注ぎますが、
飲んでもワインの味がしません。
なぜかというと。
「高価なワインを寄付なんかしたくない。自分一人くらい水を混ぜても分らないだろう」
という考えを、皆がもってしまい、皆が水をいれていた、という話。
「自分ひとりくらい」と思っても、
それを思いつくのが自分だけではないですよね。
結局皆が「自分だけズルをしよう」として、皆が同じことを考えていた。
似たようなことはよく身近で起こる気がします。
自分一人くらい、ポイ捨てしてもいい。
自分一人くらい、を手抜きしてもいい。
自分一人くらい。
100のうち一人なら、もしかしたら。
でも100人が100人やれば?
誰もが持ちうる心理だからこそ、自分一人くらいは「ちゃんと」やったほうが、価値がありますよね。
皆がポイ捨てしても、自分は捨てない。
皆が手抜きしても自分はしない。
自分一人だけだとしても。